こっちむいてよ、せんせい


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4話 もう一度だけ抱いてよ





 日曜日。
 昨日の中途半端な天気とは違い、今日の空は晴れ渡っているようだ。だがカーテンを閉めた窓越しではそれもはっきりわからないし、確認する気力もない。
 昼下がりだと言うのに、杏奈はまだパジャマ姿のまま、自室のベッドで天井を見上げていた。スマートフォンを見れば、今週末会おうと言っていたあのしつこい男の「今日の夕方、いつもの場所に絶対な」とメッセージが入っていてうんざりした。だからスマートフォンを遠くに放り投げ、手持ちぶさたでこうやってぼうっとしている。
(……こっちは、それどころじゃないんだっつーの……)
 頭をよぎるのは、やはり昨日のこと。透子の家に招かれたあと、帰りに駅まで送ってもらったときに起こった出来事だった。
『……詩織……?』
 お久しぶりです、と頭を下げた綺麗な女性を、透子は唖然としたままそう呼んだ。
 この人が、と杏奈も驚いた。昔の透子の恋人で、突然逃げるように姿を消した人物。
『……ちょっと時間、いいですか。お話したいんです、先生』
 彼女は真剣な面もちで言ってくる。頼み込む、と表現した方がいいくらい緊張した様子だった。
 透子は黙って考えているようだったが、やがて小さく頷いた。
『……少しだけなら。私、学校に戻らないと行けないから』
『えっ、せんせ……』
 杏奈は透子を見上げた。彼女は無表情のまま詩織という女性を見つめている。
(自分を一方的に捨てた女と、今更話す事なんかあんの?)
 そう思う。だがこれはあくまで透子と詩織の問題で、杏奈は口を出せる立場ではない。
 そんなことはわかっていた。でも黙っていることもできなかった。何か一言言ってやろうと、口を開こうとする。
『緑川』
 透子が杏奈を呼んだ。
『……悪い。今日は帰ってくれないか。私はこの人と、話があるから』
 こちらを向いて、固い口調でそう告げてくる。例の、寂しそうな目をしていた。杏奈に何かねだるときの、あの表情だ。
『……わかった』
 そんな顔をされたら、頷かないわけにはいかなかった。歩きだした杏奈は一度振り返って、二人が車に乗り込むところを見送った。
 足を動かしながら、杏奈は叫び出したい衝動と必死に戦っていた。そのまま家に戻って真っ先に布団を被り、夕食を食べないまま眠りについたのだった。
(そりゃあ、あたしは二人のこととは関係ないけどさ)
 寝返りを打ちながら考える。そう、自分はまったくこの件には関与していない。
 だがあの場で帰されたことが、透子と自分との間に線を引かれたようで、ただ悔しかった。もう自分たちは、ただの生徒と教師という間柄ではないのに。
(……それともやっぱりせんせいは、ただセックスしただけって、思ってるのかな……)
 またこのパターンに行き着いた。透子本人ではないから、このまま考えていても永久に答えなんて出やしない。
「あーもうっ! むかつくっ!」
 かっとなって、隣にあるクッションを殴る。ずっとこうしているのも気が滅入りそうだ。杏奈はのっそりと立ち上がり自室を抜け出した。
 通りかかった食卓に、そしてリビングにも、やはり母親の姿はない。きっと眠っていると思って声も掛けずに出ていったのだろう。何かの講座に通っているらしい。休日さえも、彼女はこの家にいない。まるで思春期を迎え扱いづらい杏奈を避けるように。
「……どいつもこいつも、あたしのこと何だと思ってんの……」
 行き場のない独り言は、すぐに何もない空間に呑み込まれた。


 誰もいない家にいると苛立ちは募る一方で、杏奈は特に行く宛もなく外に出てきた。
 見上げた空は青々と突き抜けるように広がっていたが、今日はひどくそれが無味乾燥なものに思えてくる。ふん、と鼻を鳴らし、適当に決めた方向に足を動かした。
(こういうときは、いつも真っ先に誰かと会ってたけど……)
 誰か、とは男のことだ。彼らは退屈と憂鬱を持て余した杏奈の誘いを快く受けてくれ、一緒に時間を何かしらの方法で過ごしてくれた。その代わりに何も持たない杏奈は、自分の体を自由に扱わせていたのだ。彼らの根本的な目的がそれであることもわかっていたが、今までは別にそれでもよかった。自分を甘やかしてくれるのなら、別にどうだって。
(今までは、ね……)
 道ばたの石ころを蹴ってころころと転がす。デニムスカートのポケットに一応スマートフォンは入れてきたが、使うつもりはなかった。アドレス帳に入っている複数の男の誰にも、会う気などもう微塵もしない。今会いたいのは、傍にいてほしいのはただ一人だけだった。
(……せんせい)
 彼女の姿を思い浮かべると、途端に肩が重くなったような気がした。
 詩織というあの人と、昨日はどんな話をしたのだろう。わからない。わからないから、気になる。でもわかりようがない。つまること自分には、何もできないのだ。
(……あれ? ここって……)
 ふと周りを見渡して、どこか見覚えのある住宅地に入り込んでいたことに気づく。いつの間にか駅の近くを通り過ぎていたようだ。ここは、昨日招かれた透子の家への道のりだった。苦笑いがこぼれる。
(もうあたしって、どんだけ……)
 ここで引き返すのも面倒で、おぼろげに覚えている道を進んでいく。もちろん会いに行くつもりなどないし、彼女はきっと家じゃなく今日も学校にいるのだろう。それでも何となく、行ってみたかった。
 やがて年季の入ったあのアパートが見えてくる。あそこの一つの部屋の中で、透子と自分はセックスをしたのだ。昨日の事なのに随分昔にも思えてくる。
 更に近づいていくと、鉄格子の錆びた階段を誰かが下りてくるのが見えた。
「あっ」
 思わず声を上げてしまった。それを聞いて向こうも杏奈の方に目をやる。
「……あ。あなた、昨日透子先生と一緒にいた……」
 黒いロングヘアと、清楚な雰囲気を纏う綺麗な女性。
 詩織、だった。


「ごめんなさいね。何だか、無理に誘ってしまったみたいで」
 テーブルの向こう側で大人びた笑みを浮かべる女性に、杏奈は「……いえ」とそわそわしながら言った。落ち着かない。
 杏奈は詩織という彼女と駅の近くにある喫茶店にいた。「ここで会ったのも何かの縁だし、よかったらお茶でも一緒にどう?」と向こうから誘ってきたのだった。杏奈は遠慮しようとしたが、彼女の人の良さそうな笑顔に当てられて何となく素直に頷いてしまった。
 どうやら彼女は昨日に引き続き透子に会いに来たようだが、仕事で留守だったのでそのまま帰ろうとしたところをばったり杏奈に遭遇したらしかった。
「杏奈ちゃんは、透子先生の学校の生徒なの?」
 気さくに尋ねられる。お互いの名前は先ほど名乗り合った。彼女は、上坂詩織、というそうだ。名字はここで初めて知った。
 杏奈が頷くと、うんうんと彼女も相づちを打つ。
「先生と仲いいんだねぇ。昨日は二人でどこかに出掛けてたの?」
 何の意図もないのだろう。だがどきりとしてしまった杏奈はとっさに嘘をつく。
「いえ。ただ偶然駅の前で会ったから、話してただけです」
「へえ、そうなんだ。でも何だか親しそうに見えたけどなぁ」
 屈託なく言って彼女は頼んでいたコーヒーに口をつける。自分たちの関係に、勘づいてはいないようだ。
 風貌は大人っぽいが、どことなく子供のような無邪気さも滲ませている。詩織というのはそんな女性だった。年齢も杏奈とそこまで離れてなさそうで、少なくとも大学生くらいだろう。
(……この人のことを、せんせいは呼んでた)
 ――それも、自分を慰めているときに。胸の中のくすぶりが、僅かに増したような気がした。
 目の前に置かれた飲み物の入ったグラスを見つめながら、杏奈は口を開く。
「上坂さんは」
「詩織でいいよ。私もほら、杏奈ちゃんって呼んじゃってるし」
「……詩織さんは、せんせいとは、どういう関係なんですか」
 少しだけ、彼女が答えるのに間が空いた。
「……昔、ちょっと縁があってね。色々とよくしてもらったの」
 彼女は頬杖をついて、遠くを眺めるような目をする。思い出しているのだろう。透子と過ごした半年間の時間を。
 小さく貧乏揺すりをしながら、杏奈は質問を重ねる。
「昨日は、せんせいに何かご用だったんですか」
「あ、うん。透子先生に、話したいことがあったの。そのために先生の赴任先聞いて回って、ここまで飛行機で来たんだ。今は街の方にあるビジネスホテルに泊まってるの」
 彼女は淡々と言っていたが、そんな労力を使ってまでわざわざ透子に会って話すことなど、一つしかないだろう。杏奈はほとんど確信していた。
(せんせいと、もう一度一緒になるつもりなの? 自分から、逃げたくせに?)
 テーブルの下で拳を握りしめた。今胸の中で渦巻いている苛立ちを、全て目の前の彼女にぶちまけたい衝動が走る。
 だがそこで、再び彼女がためらいがちに口を開いた。
「……実を言うとね。私、昔先生にひどいことしちゃったの。それで自分の言葉で謝りたくて、ここまで来たんだ。謝って許されることじゃないんだろうけど――もう一度先生と、仲直りしたくて」
 呆然としていた。つい直前まで胸の中に噴き出していた怒りが、あっと言う間に鎮火されていく。
 彼女が心からそう思っているのが言葉の端から伝わってきた。だから透子に嫌われているかもしれない可能性も承知で、ここまで来たのだ。杏奈が想像していた生半可な気持ちなのでは、決してないのだろう。自分のしたことを真摯に受け止め、再び透子と向き合おうとしている。
 気付けば杏奈は、自分でもよくわからないとんちんかんなことを尋ねている。
「……詩織さんは、せんせいのこと、好き……?」
 彼女は一瞬きょとんとしてから、太陽が昇るように満面の笑みを浮かべた。
「うん、大好きだよ」
 その瞬間、自分の中にある何もかもが崩れていく音を、聞いたような気がした。そんなにまっすぐな言葉を、自分は透子に伝える事ができるだろうか。
(……敵わない)
 真っ白になった頭に、ただそんな言葉だけがぼんやりと浮かんできた。


 詩織は奢ってくれると言ったが、杏奈は固辞して自分の飲み物の代金を払って店を出た。 そのあと歩きながらスマートフォンを取り出し、例のしつこい男へこれから会おうと返信してから電車に乗った。
(きっとあたし、寂しかったんだ)
 休日なのにがらがらな電車の中、座席にだらしなく座って杏奈は思う。窓の外、夕日に照らし出された景色は、すごい早さで置き去りにされていく。
 学校にも家にも、自分の居場所なんてなかった。だから、男たちと頻繁に会うようになったのだ。髪を染めたのもスカートを短くしたのも、可愛いと誉めてもらうためだけだった。彼らはそうして、杏奈をそこにいるものとして扱ってくれた。
 でも、所詮そんなものは上辺だけ。彼らの本当の目的は、金を払うことなく簡単に使うことができるこの体なのだ。空しいのはそのせいなのだろう。ただ欲望のままに蠢く手で触れられたって、嬉しいわけがない。
「せんせい……」
 ぽつりと呟いた。それだけで胸は切なさを帯びて、ぎりぎりと軋んでいく。
 彼女だけだった。彼女だけが、杏奈を杏奈として、見てくれていた。
 活気づいた街中を俯きながら歩く。男と取り付けた待ち合わせ場所は降りた駅のすぐ近くだった。
 見慣れている目立つ変なモニュメントの前に、既に男は立っていた。眼鏡を掛けて神経質そうな顔をしている。杏奈が近づいてくるのに気づいて彼は顔を上げた。
「おう、今日はすっぽかさないでちゃんと来たか。そういうのはもう一度きりだからな。ほら、さっさと遊びに行こうぜ。どこ行きたいんだよ」
 一方的にまくし立てて、さっさと男は歩き出そうとする。
「ねえ!」
 その背中に、はっきりとした声で呼びかけた。不機嫌そうな顔が振り返る。
「あ? 何だよ」
 心臓が縮みあがって、口の中がからからに乾いている。正直に言えば、怖かった。
 だがもう決めたのだ。杏奈は大きく息を吸ってから、足を踏み出すようにして言った。
「あたしもう、こういうことやめようと思うの。今日は、それだけ伝えに来たんだ」
「……は? お、お前いきなり何言ってんだよ。どうしてそんなこと……」
 男が初めて動揺を見せた。既に心の中で固めていた思いを、そのまま言葉にして言い放った。
「好きな人、できたの。だからもう、これっきりね。……それじゃあ!」
 きびすを返して走り出す。「あ、おい!」と男の呼ぶ声がしたがもう振り返らなかった。
(……言った。言ってやった……!)
 鼓動の音は未だに早かったが、気分はこの上ないほどすっきりとしていた。足を動かしながら杏奈は、自分がいつの間にか笑みを浮かべていることに気づく。
 駅に入り、そのままちょうどよくホームに滑り込んできた電車に乗る。閉まったドアに背を預けて、スマートフォンの連絡先に載っている男のアドレスを全て消去した。そうするとようやく力が抜けて、その場に座り込んでしまう。
 こんなことは、ただの自己満足なのかもしれない。それでもよかった。
(……せんせい)
 彼女の姿が浮かぶ。こうしたことで、ようやく自分の本当の気持ちに向き合える。
 例え彼女が、自分のことを選ばなかったとしても。


 昼休みまでの時間は、いつもよりずっと長く感じられた。時計を見上げるたびに動いていない針に焦れ、やきもきとして授業どころではなかった。
 昼の訪れを表すチャイムが鳴り響くと同時に、杏奈はすぐさま教室から飛び出した。早足で廊下をひたすら進む。
 目的は当然透子と会うことだった。あてはなかったが、授業があったのならまだ体育館にいるかもしれない。急ぐ。
 体育館付近にたどり着くと、今さっき授業を終えたらしいジャージの集団と出くわした。廊下の陰に隠れて彼らが途切れるのを待ってから、杏奈は体育館の中へ入っていく。
 透子は、一人でそこにいた。授業で使ったらしいバスケットボールの入ったボールケージを倉庫の中にしまおうとしている。杏奈がまっすぐ向かっていくと、彼女も気づいて手を止めた。
「……緑川」
「せんせい、話があるんだけど」
「……今か」
「今」
 透子は落ち着きなく視線をさまよわせていたが、真剣な杏奈の態度に負けたのかやがて小さく頷き、倉庫の扉を開けた。
「悪い、ここでいいか」
「別に。どこだって構わない」
 杏奈が先に入り、あとから透子が入ってきて後ろ手に扉を閉めた。体育で使う跳び箱などが置かれていて狭く、じめじめと薄暗い場所だったが掃除は行き届いているのかそこまで埃臭くはない。
「……詩織さんと、どんな話、したの?」
 扉を背に所在なく立っている透子をまっすぐ見つめながら、杏奈は単刀直入に尋ねる。「それは……」と彼女は口を開きかけたが、まだ迷っている風だった。もどかしくなってこちらから言ってやる。
「……知ってるよ。昔のこと謝られたんでしょ。また一緒になろうって、そう言われたんだよね」
 透子の表情があからさまに固くなった。やはりそうなのだ。途端に杏奈の声は萎んでしまう。
「せんせい……何て答えたの?」
「……少し、考えさせてくれって、言った」
 絞り出すように透子はそう答えた。はっとなる。あらぬ方を向いているその瞳は、寂しそうな光を宿していた。あの目だ。
(……せんせい、詩織さんのこと見てたんだ。ずっと……)
 頭の芯が急激に熱くなった。杏奈は着ているセーラー服のリボンを解き、上を脱ぎ捨てた。スカートのホックを外してジッパーを下ろし床へと落とす。あっと言う間に下着姿になった。
「み、緑川、何して……?」
 困惑する透子の詰め寄り、その体にぎゅっと抱きついた。胸元に額を擦りつける。しなやかな感触。心の底から、安堵できるその温もり。
「これで最後でいいからさ。ねえ、せんせい――」
 杏奈は顔を上げて言った。
「――もう一回だけあたしのこと、抱いて。お願い……」


「ここに来て座って、せんせい」
「……こう、か?」
 手を引いて促すと、透子は置かれている跳び箱に背を預けて座り込んだ。杏奈は下着だけを纏った姿で、その伏せられた足を跨ぐようにして膝立ちになる。長身の彼女より、これで目線が少し上になった。
「寒くないか、緑川」
 伸びてきた透子の手が、頬を緩やかになぞる。くすぐったい。
「ん……平気」
 杏奈は透子の肩を掴んで、ゆっくりとその顔に近づいていく。触れる一瞬彼女が躊躇するような仕草を見せたが、構わず唇を重ねた。自分から口づけをするのは、これが初めてだった。
「んん……ふっ……」
 交差して開いた唇に、杏奈は短い舌をすかさずねじこんだ。少し乱暴な動きで透子の口内を舐っていく。彼女の舌が宥めるように絡みついてきたが、いつもよりずっとぎこちない動きだった。
「……っは……、緑川……」
「ん……せんせ……」
 彼女の手のひらが素肌のウエストラインを撫でる。冷たい感触に、肌が細かくぽつぽつと浮き上がるのを感じた。
 更に彼女は背中へと回り込んで背筋の辺りに触れたあと、下着の上からやんわりと杏奈の小振りなお尻を掴んできた。細く長い指が、抵抗の薄い皮膚の表面をへこませていく。
「あ、ん……せんせい……」
 もっと触れてほしい、と思った。透子によってもたらされる温もりと快感に、今はただひたすら貪欲になっているようだ。いくら貪っても、足りないかもしれない。
「……緑川。私の上に、座っていいぞ」
 言われた通り彼女の膝に足を折り畳んで座り込む。すると不意に回されてきた腕が、ブラのホックを外してくる。露出した未熟な肉の膨らみに、五本の指が吸いつく。
「あっ、ん……。もっと、強めでもいいよ……」
 途端に動作に力が込められた。揉みしだいたり持ち上げたり沈みこませたりと巧みに強弱を用いた愛撫を施される。でもそこに強引さはない。だから杏奈は、彼女に身を任せることが出来るのだと気づく。
「あ……?」
 ふと彼女が二つ結びにしていた髪の束に触れたかと思うと、ヘアゴムを解かれた。毛先が肩胛骨の辺りまで下りる。
「何してんの?」
「髪下ろしたところ、見たことないと思って。……やっぱり可愛いな、緑川は」
 そんな台詞を恥ずかしげもなく吐く唇が、杏奈の胸の先に被せられた。ちゅっ、と湿った音が鳴ると同時に、淡い痺れが胸から広がっていく。
「んっ、はっ……、ば、バカじゃないの。変なこと……言わないでよ」
 息苦しくなる。嬉しくないわけではない。でも今は、その言葉に素直に喜ぶことができないのだ。
(ねえ、せんせい。それ、ちゃんとあたしに言ってくれてる……?)
 穏やかじゃない気持ちが湧く。杏奈は彼女の肩を押し返して距離を離すと、そのジャージのファスナーを下ろしていった。
「み、緑川? どうしたんだ」
「せんせいばっかり、ずるい。あたしにも触らせてよ。せんせいのおっぱい」
 言いながらジャージの下にあったTシャツをめくり上げた。あまり色気があるとは言いがたい簡素なブラも無理矢理持ち上げると、抵抗を示しつつも大き目な乳房がさらけ出される。
「お、おい、緑川……?」
「あたし好きだよ、せんせいのおっぱい。大きくて綺麗で、柔らかくて……」
 手を乗せると、これ以上ないと言うほど弾む感触が返ってくる。堪らなくなって、杏奈はぎゅっとその塊を揉み込んでいく。
「あっ……ちょっ、いきなり……」
「せんせいの方が可愛いじゃん。ほら、ここもこんな固くしちゃってさ」
 広く色づいた乳輪をなぞって、その中心で固く立ち上がっていた突起を指先で押し込んでやる。ぐっと彼女の背が持ち上がった。
「うあっ……はっ、みどり、かわ……」
(あたしだって、せんせいを気持ちよくさせること、出来るよ……)
 そしてそこに食らいつき、杏奈はぴちゃぺちゃ、と子猫がミルクを飲むような音を立てて咀嚼していく。このままずっと責め立ててやろうと思っていた矢先だった。
「んっ、あっ……!」
 突如強い電流が走って、杏奈はびくりと震えた。透子の膝の先が持ち上がった拍子に、足の間にある器官を的確に刺激してきたのだ。
「緑川……濡れてる、みたいだな」
「あっ、ちょっ、やめ……っ」
 更に彼女は膝を動かして擦りつけてくる。そのたびにぐちゅり、と水音が聞こえた。下着の先が、湿り気を帯びて変色しているのがわかる。
「……脱いで、緑川」
「えっ、でも……」
「頼む……」
 あの、もの寂しさを湛えた瞳がこちらを見る。それが自分を映していないことはわかっていた。そうだとしても、言う通りにしたくなってしまう。
 杏奈は立ち上がり、ショーツを下ろした。つう、と粘液の糸が引いたのに気づかない振りをして、足から引き抜く。
「もう一回、私の足の間に来て。そう……」
 彼女に誘われるままに、再び彼女の足を跨いで膝立ちになった。できた杏奈の太ももの隙間に、手が忍び入る。
「あっ。緑川、今垂れてきたぞ……。もうトロトロみたいだな……」
「やっ、言わないで……あぁっ!」
 亀裂を透子の指が撫で上げた。ぬちゅ、ちゃぷ、と先ほどよりはっきりした水音。そして刺激。体が揺れ動く。
「……もう指、入れても大丈夫……?」
 上擦った声で聞かれる。自分のソコが彼女を欲しがって疼いているのは自覚している。小さく頷き返した。
「じゃあ二本、入れるな……」
 彼女の二つの指が秘口にあてがわれたのを感じ、身を固くする。やがてゆっくりとそれは杏奈の幼肉を割って入ってきた。
「んあぁっ……! せんせ……っ!」
 力が入らなくなって、彼女の体にすがりついてしまう。首筋に腕を絡めると、その体温が伝わってきて尚更気分は高ぶってくる。
「緑川……」
「あっ! やぁっ!」
 入り込んですぐ、恥丘の下辺りの壁をぐっと押し込まれた。一瞬意識が持ち上がるような浮遊感を感じ、悶える。
「ここ、好き?」
「んっ、好きっ……。気持ちいい……っ」
 指は奥を目指して潜っていき、膣内を押し広げていく。膣襞がひきつり、もっと指を呑み込もうとしているのを感じた。
「おっ、誰もいねーな。俺たち、一番ノリじゃん!」
 不意に背後から大きな声が聞こえてきて、びくりと体が強ばった。
 どうやら体育館に誰かやってきたみたいだった。もう昼休みも半ばで、おそらく昼食を終えた誰かが食後の運動をするために訪れたのだろう。
「あれ、ボール出しっぱなしじゃね。丁度いいや。おい、これでバスケやろーぜ!」
「おう、俺の華麗なるシュート見せてやるよ!」
 そんな会話まで筒抜けだ。向こうとこちらの空間を隔てているのは、薄い扉一枚だけだった。それも鍵などついているはずがなく、開けられでもしたら何もかも見られてしまう。
 透子に目をやる。彼女は扉の方に顔を向けたままじっと息を殺していた。まだ膣内に入ったままの指の圧迫感。一度意識してしまうと、胸がぞくぞくとしてきた。
「んっ……ふっ……」
 杏奈はそろそろと彼女の指を自分の膣壁に押しつけるように腰を動かした。漏れだした息を、手でしっかり抑え込む。
「おい、緑川、何して……!」
 困惑する彼女を無視してもっと腰を蠢かせる。ぐちゅ、ぬちゃ、と鈍く粘液が声を上げていた。後ろではボールが床にバウンドする音が折り重なって響いている。それが尚更内なる情動を煽るのだ。まるで透子と自分がしていることを、扉の向こうの奴らに見せつけているような気分だった。
「えっ……」
 透子がいきなり杏奈を抱き寄せてきた。そして耳元に口を寄せてきて、吐息混じりに囁いてくる。
「もうどうなっても、知らないからな……」
 指の動きが再開される。もはや遠慮などなく、荒々しく杏奈の内肉を掻き乱していく。
「んぐっ、んんっ、ふぁっ……!」
 声を出さないように必死で彼女の肩の布地に噛みついた。目の前が滲み、絶頂感が駆け巡る。
 僅かに乱れた杏奈の髪を、彼女の空いている手がそっと撫でていた。慈しむかのようなしなやかな指使いは、杏奈の胸の奥を熱くさせる。
(そんなの……反則だよ、せんせい……っ)
 体育館の方から叫ぶような声が聞こえてきた。しかし何を言っているのか、それを認識する余裕はない。
「んふっ!? んああぁ……っ!」
 彼女が親指で、限界まで張りつめたクリトリスをこねくり回し出した。粘液をなすりつけて包皮を剥き、敏感な肉芯を優しく刺激する。
「んんっ! くぅっ、……っあぁ!」
 膨張し続けていた快感の固まりが破裂した。目の前がかっと白く染まり、背が反れて全身がびくびくと痙攣する。
 達したまま震え続ける杏奈の小さな体を、透子はぎゅっと強く抱きしめ続けてくれていた。


 杏奈は無言のまま、服を着直す。ショーツが濡れていて少し具合が悪かったが、代えもないので仕方なくそのまま足を通した。
 横で透子がちらちらとこちらを窺っているのが感じられる。何か言いたいようだが、言葉が見つからないらしい。丁度杏奈も、同じ気持ちだった。
 リボンタイまでしっかり整え終えて、杏奈は戸惑いがちに彼女の方を向いた。
「……ねえ、せんせい」
「……何だ」
「やっぱりせんせいは、もう一回詩織さんと付き合うの……?」
 じっと俯いて、彼女は押し黙っていた。どんな思いが渦巻いているのか、杏奈には察することができない。そこに、ちゃんと自分が含まれているのかさえ。
「……わからない」
 やがて乾いた口調で、透子はそう言った。もはや驚かなかった。そうだろうと思っていたのだ。
 おそらく彼女は、何らかの思いを自分に抱いてはくれているのだろう。優しくしてくれたし、求めてもくれた。
 でもずっと忘れられなかった人が目の前に現れたとしても――彼女は自分を、選んでくれるだろうか。
 きっと、それはないだろう。わかっていた。
(……でも。それでも、あたしは)
 ゆっくりと口を開く。
「せんせい、好きだよ。大好き」
 弾かれるように顔を上げた透子を尻目に、杏奈は扉を開く。外の世界は光に満ちていて、眩しかった。
「……じゃあね、せんせい」
 外に出て、もう一度だけ振り返る。彼女ははっとなって目を逸らしたまま、何も言ってくれなかった。
(ねえ、いいでしょ。最後くらい――こっちむいてよ、せんせい)
 願いは叶わなかった。動かない透子から杏奈も顔を背けて、そのままその場を後にした。



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