ブローカーズ・キーパー(悪魔のリドル/兎晴)


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7.東兎角と犬飼伊介はぶつかり合う





 夢を見た。延々と続く暗闇の中で、兎角は晴を探して歩いている。
 ――晴、晴? どこへ行ったんだ。
 呼ぶ声は妙に反響して聞こえた。兎角の歩行もどことなく緩慢だ。息苦しい感じがした。
 やがて、兎角はたどり着く。晴は膝をついて座り込んでいた。遠くを見るような目をしている。
 ――晴、ここにいたのか。
 ――兎角、さん。
 近くにいる兎角に気づくと、晴は笑った。どこか綻んでいる、疲れの滲んだ笑いだった。
 ――ごめんね。晴、こうするしかないみたい。
 彼女は右手を持ち上げる。拳銃が握られていた。その先を、自らのこみかめに当てる。
 ――さよなら、兎角さん。
 彼女が引き金を引くのと同時に、兎角は飛び起きた。びっしょりと寝汗をかいている。ひどい悪夢だった。
 ビー、ビー、と鈍く警告音が鳴っていた。監視カメラのモニターからだ。兎角はすぐに我に返り、モニターに駆け寄った。警告音が鳴るのは、建物内に無断で誰かが入り込んだ時なのだ。
「……兎角さん? どうかしたの?」
 晴が起きたばかりのようで、まだはっきりしない声で呼びかけてくる。
「わからない。誰か入ってきたかもしれない」
「えっ、嘘!」
 一通りモニターを見た感じでは、特に人の気配は感じられなかった。しかし、嫌な感じがする。何か、漠然とした危機が迫っているような。
 ふと、一つの画面の中で音がした。多くのデスクが置かれ、ガラスで仕切られたまだ何かのオフィスだった頃の風格を残したフロアだ。
(ここに誰かいるのか……?)
 確かめる必要がある。兎角はデニムジャケットを着て、昨日手入れしたばかりの拳銃を手に取った。マガジンを抜いて、弾薬がフルで入っているのを確かめる。それからスライドを引き、本体に弾を込めた。
「ちょっと様子を見てくる。ここにいてくれ」
「う、うん。でも……」
 晴は心配そうに上目づかいで兎角を見てくる。
「何があっても動くんじゃないぞ。……もしもの時は、一人で脱出するんだ」
「えっ、兎角さ……」
 最後まで聞かずに、兎角は部屋を出た。地面を踏みしめ、急ぎ非常階段に向かう。ここは最上階の七階。音がした場所は四階だ。
 薄暗い階段を駆け降り、あっという間に「4F」と表記のある扉の前にたどり着いた。ドアノブに手をかけ、深呼吸する。動悸が少しうるさかった。
(大丈夫……もし戦闘になっても冷静に対処すればいい。よし、行くぞ)
 自分を鎮め、兎角は銃を構えながら扉を開いた。
 中に入り、左右を確認。人影は見られない。窓から差し込む朝日を受けて、デスクが規則正しく並んでいるだけだ。今にももういない社員たちが出社してきそうな雰囲気だった。
 上段に銃を構えて歩を進める。どこに敵が隠れているかわからない。ここには死角が多すぎるのだ。
 通路の真ん中を進む。ガラスの仕切の奥を睨みつつ、デスクの中に潜んでいる者がいないかチェックする。どこにも人の気配はなかった。
(やはり、警報の誤作動だったか……?)
 そう思い始めていた頃、不意に目の端で何かが光るのが見えた。銃口だと気づいた瞬間、兎角は走っていた。
 バシュシュシュッ、という音と共に次々ガラスが砕け散る。兎角は一つのデスクの中に飛び込んで身を隠した。
 しばらくしてから銃撃が止む。乱れた息を抑え込み、通路をのぞき込んだ。ガラスの仕切は割れて床に飛び散り、デスクは横倒しになり、置いてあったウォータークーラーは腐った水をまき散らしている。ひどい有様だった。銃声がほとんどなかったから、サプレッサー(消音器)をつけたサブマシンガンの仕業だろう。
「あらあらもう終わりぃ? こんなんじゃ全然歯ごたえないんだけどぉ、東兎角さん?」
 語尾を少し伸ばしたような女の声が響いた。
「何者だ! どうして名前を知ってる!」
 呼びかけてから、身を低くしたままデスクとデスクの隙間を移動する。位置を悟られたくなかった。
「他にも色々知ってるけどぉ? ブローカーちゃんはどこに隠れているのかしらね?」
 ぴくりと兎角は反応した。狙いは晴なのだ。
「さぁな、もうここにはいないかもしれないぞ!」
「嘘ばっかり。ここがあんたの隠れ家なんでしょ? だったらここにいるわよねぇ、一ノ瀬晴ちゃんは」
 全て見抜かれている。下手な嘘は通じない。
 襲撃者は一人。だとしたらチームで動く警察や軍の連中ではない。そして彼らよりも、兎角たちの情報を持っている。何者なのだ。
(走り鳰が言っていたのはこいつのことなのか……?)
 兎角は銃を上向きに持つ。今までの奴らより、よっぽど厄介な敵かもしれない。
「まあ、じっくり探させてもらうわねぇ。あんたを殺した後で」
 近くのデスクトップが爆ぜた。続けて机上で火花が踊る。兎角はデスクの中から転がり出た。そのまま立ち上がり、銃を構える。銃撃の方角から、敵の位置は計算してあった。向けた銃口の先に、誰か立っている。朝日に照らされたそいつはにやりと笑った。
「ふぅん、やっぱりただ者じゃないみたいね」
 いくつかのデスク越しに向かい合う女は、長く派手な色をした髪と、同じように腹の露出した控えめとは言いがたい服装をしている。両手にはサプレッサー付のイングラムm10が二丁握られていた。連射サイクルが速く一分間で千発の弾丸を吐き出す軍用のサブマシンガンだ。
「動くな、銃を捨てろ!」
「やぁよ。これ、お気に入りなのに」
 銃を向けられているのにも関わらずそいつは余裕そうだった。
「ねえ東さん? あんたのこと見逃してあげるから、黙ってブローカーちゃんを渡してくれない? 伊介、面倒くさいのは嫌いなの。ソッコーがモットーだから」
 笑みを深めて彼女は言う。伊介、というのは彼女の名前かコードネームだろう。それを明かすということは、完全に舐められているのだ。
「……ふざけるな。彼女は渡さない。お前こそ見逃してやるからさっさと消え失せろ」
「乱暴な言葉遣いねぇ。じゃあ交渉は決裂ってこと?」
「交渉もクソもない。お前の要求は一切拒否だ」
「ふうん、残念ね。それなら――」
 彼女が身を翻した。すかさず兎角は発砲したが、軽く避けられる。宙を舞うような鮮やかな動きで、彼女は兎角に銃を向けた。
「――さっさと死にな、マヌケ面」
 m10が火を吹く。慌てて転がった兎角の体の表面を熱いものが通り抜けた。ひっくり返ったデスクに転がり込む。服が裂けてわき腹の辺りから血が滲んでいた。何発か掠ったらしい。
 続けてまた銃撃が襲いかかる。たまらず隠れていた場所から抜け出ると弾が這うように後を追ってきた。おぼつかない足取りで窓の近くの柱に逃げ込む。周囲に障害物はない。逃げ場がなかった。
(くそ……どうする?)
 こちらの装備は拳銃だけだ。サブマシンガン、それも二丁持ち相手ではどう考えても分が悪い。
(一か八かで特攻するか……?)
 銃を握る手に力を込める。その時、ズボンのポケットから振動を感じた。鳰から受け取った携帯だった。取り出して画面を開くと、「あなたの可愛い鳰ちゃん」というふざけた表記と共にピースサインをした走り鳰の姿が映されていた。受信のボタンを押す。
「やーやー、昨日ぶりっスねぇ兎角さん。どうやらまたまた大ピンチみたいじゃないっスか。だから警告しておいたっしょー?」
 場違いなほど暢気な声が耳につけたスピーカーから聞こえてきた。兎角は答えない。声を出せば伊介にいる場所がばれる。
「まぁ簡単に死なれたら面白くないんで、今回も鳰ちゃんヘルプ発動するっスねぇ。窓の外に注意しといてくれっス」
(窓? 一体何をするつもりだ?)
 兎角が窓の方を見ると、すぐ近くから声が聞こえてきた。
「こんな時にのんびり電話ぁ? 超ムカつくんですけど」
「しまっ……!」
 伊介だった。すぐに銃を向けるも、彼女の放った蹴りで弾き飛ばされてしまう。鼻先に銃を突きつけられた。
「はい、おしまい。ばいばぁい東さん」
 伊介の指がトリガーに掛かる。だが兎角はまだ諦めていなかった。
(この距離なら、一撃叩き込める……!)
 ジャケットの後ろに隠していたナイフを掴む。お互いがぶつかり合おうとしていた。
 だが突然の轟音で、二人の動きはぴたりと止まる。
「何だ……?」
「何……?」
 窓の外からだ。プロペラの音だと気づいた瞬間、上から巨大なヘリコプターが現れた。全開になった後部に鳰が立っている。こちらに向けて構えているのは、RPG-7――ロケットランチャーだった。
(あいつ、ここにぶち込むつもりかっ!)
 反射的に兎角と伊介は反対方向に逃げていた。直後、背後でとてつもない衝撃が弾けた。
 体が浮かび上がる。浮遊感もつかの間、兎角は床に投げ出され、そのショックで気を失った。



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