ブローカーズ・キーパー(悪魔のリドル/兎晴)


BACK / TOP / NEXT


1.東兎角は自問自答する





(私は一体、ここで何をやっているんだ)
 先ほどから東兎角は、胸の内で自問を繰り返していた。
 目の前では同僚の小野田が、人相の悪い男を机に押さえつけて腕を捻り上げている。彼は跡が残らない暴力のエキスパートだった。
「なあ、社長さんよ。こちとらお前の悪事、さんざん見逃してきてやってるんだぜ。口止め料くらい弾むのは当然の道理だろうが」
 ドスを利かせた声で小野田は言う。元から凄みのある顔が更に凶暴そうになっている。腕を捻られた男は情けなく喚いた。
「わ、わかった! いつもの倍出すから! だから離してくれぇ!」
「ようやく物わかりがよくなってきたじゃねぇか。ほら、さっさと出せ。全部現金でだぞ」
 腕を掴んだまま小野田は男の体を起こし、金庫の前まで連れていく。そんなやり取りを、兎角は他の何人かの同僚と共にただ見つめていた。
 ようするに、これはほとんど一方的な交渉だった。起こした犯罪を見逃す代わりに、その口止め料をたんまり貰う。今回の相手は裏でいかがわしいことをしている会社の社長で、兎角たちはそのオフィスに乗り込んできたのだった。
 ため息をつく。兎角はくるりと身を翻して出口に向かった。
「……もう終わりだろう。外で待ってるぞ」
 そう同僚たちに声を掛けて部屋から出た。
 ビルの外は、真昼の太陽が燦々と降り注いでいて、先ほどの陰鬱な雰囲気などまるで存在していなかったように思える。街を歩く人々も活気で溢れていた。龍の刺繍のスカジャンと丈の短いデニム生地のズボンという格好の自分は、ここにうまく馴染めていないみたいだ。
(私は何をやっているんだ)
 また、深くため息をついた。
 兎角は警察機関の、表沙汰にはできない特殊な機関に所属している。
 仕事内容は先ほどのような脛に傷のある人間を脅しての資金調達だったり、時には麻薬や武器の不正密売の取引をボディーガードしたりすることもある。ほとんどが、どっぷりと黒に浸かった事案だ。もちろん相手が相手だけに、過激な戦闘に備えた特殊訓練は受けている。自分の身は自分で守らなければならない。
 元々兎角自身も堅気ではない家系出身だった。その中でもずば抜けて優秀だった兎角は十五歳にして、裏の仕事をする資格を手にした。その中で選んだのが、今の仕事である。
 間違ったことが正しいとされる生活の中で、兎角は正しいことというものに密かに憧れていたのだった。だから警察機関に入れば少しはマシではないかと思ったのだが、結局は同じことだった。闇というものは、そう簡単には振り払うことはできないみたいだ。
(私はこんなことをいつまで繰り返すのだろう)
 だから兎角は、今日も自問を繰り返す。
 背後の自動ドアが開いて、小野田を先頭に同僚たちが出てきた。陽気だった街の雰囲気が一気に曇った気がした。
「おう、東。金も回収したし、今日の仕事はこれを本部に届けて終わりだ。どうだ? ちょっと軽くどこかで遊ばないか?」
 小野田が口元を歪めて言ってくる。この男は笑ってもちっとも凶暴さが消えない。むしろ増しているみたいだ。
「……いや、気分が乗らない。私は帰るよ」
「そう堅いこと言うなって。ボーリングでもしようぜ」
 ふざけて小野田がボーリングの球を投げる動作をした時だった。
 バラララッ! と細かく刻まれた銃声が辺りに響いた。共鳴したかのように連続で聞こえてくる。アサルトライフルの発射音だった。どう考えてもこんなところでする音ではない。周りの人々も何事かと音のした方角を見て立ちすくんでいる。
「な、何だ?」
 兎角たちは身構える。すると、小野田の無線に通信が入った。
「街中で『ブローカー』を発見。繰り返す。街中で『ブローカー』を発見した。付近の捜査官は全員、直ちに捕獲に当たれ。抵抗する場合は射殺しても構わない。場所は――」
 ――『ブローカー』。その名前を聞いてその場にいた全員が顔を見合わせる。
「おい、こいつを捕まえたら、出世も夢じゃないんじゃないか……?」
 誰かがぼんやりとした声で言う。それほどまでにブローカーは大きな存在だった。
 兎角は素早く携帯端末で付近の地図を開く。無線で言われた場所はそう遠くない。
(丁度いい。こういうヤクザまがいの仕事にはうんざりしていたところだ)
 兎角は腰のホルスターから拳銃を抜く。常に常備しているグロック17だ。使い勝手がよく、米国ではもはや主流の拳銃である。兎角の愛用だ。
「悪い、先に行ってるぞ。後で合流しよう」
「あ、おい、東!」
 小野田の声を振り払って走る。単独行動は日常茶飯事なので、誰も強く止めたりはしなかった。


(しかし、ブローカーか。まさかこんなところでその名前を聞くとは)
 走りながら、兎角はブローカーの情報を思い返す。
 拳銃、ライフル、ロケット弾……様々な武器を常に常備しており、それらを使用した無差別的な殺戮事件を起こす凶悪犯。警察内部ではそう言われており半ば伝説と化していた。
 もちろんそんな大量な兵器を手にこの国を出歩けるわけもないから、少し誇張された噂なのだろう。だが実際に、街中での無差別大量殺戮事件は近頃頻繁に起きていて、メディアでも大きく取り上げられていた。それら全てが、ブローカーの仕業であるという。
 一つの噂によれば、ブローカーは何もない空間から武器を取り出して使用しているのだとか。だからいくらでも武器を持ち運べるのだという。空間と現実を”仲介”する存在故に、ついた通称がブローカーというのだ。
 馬鹿馬鹿しい、と兎角は思う。そこまでいくともうファンタジーの世界だ。
 無線で言われた大通りに着いた。道路の真ん中に乱暴に止められた大柄なトラックは、軍のもののようだ。その証拠に迷彩柄の戦闘服を来た連中が何人か立っている。全員ご丁寧に軍用アサルトライフルを携えていた。先ほどの銃声は彼らの仕業らしい。
 軍の連中は道を封鎖しようとしているようで、どうやらここにブローカー本人はいないようだった。ならば、どこへ逃げたのだろう。
 兎角は立ち止まって考えを巡らせる。私なら人目につかないように裏路地を使う。
 少し範囲を広げてみよう。兎角は直感的に判断して、裏路地に入り込んだ。
 軍や警察の感知しないところを探す。おそらくそこに、ブローカーは身を潜めているはずだ。
 そうやって、かなり発見場所から離れた頃だった。
 何本目かの路地の向こう側で、人の気配がした。兎角は足音を潜めて近づいていく。
(――ブローカーか?)
 しかしそれにしては危険な匂いがしなかった。裏の人間と関わってきた経験上、そういうのには鼻が利くのだ。
 曲がり角の壁に背をつける。一度小さく深呼吸をしてから、一気に躍り出た。
 そこに、少女がいた。小動物のように縮こまって座り込んでいる。物騒とはまるでほど遠い存在だった。
「……こんなところで、何をしているんだ?」
 声を掛けると、彼女は弾かれるように顔を上げた。見開かれて震えている瞳が、兎角を映している。……怯えているのだろうか?
 見たところ兎角とあまり年が離れてなさそうだった。ベージュのベストと半袖のワイシャツ、短めのプリーツスカートという制服は、泥か何かで汚れていた。高校生なのかもしれない。
 一応兎角は、少女を注意深く観察してみる。どこにも武器を携帯しているようには見えない。危険な予兆などこれっぽっちも感じなかった。ブローカーでないのは確かだ。
 持っていた銃をホルスターに納め、兎角は少女に向かって手を差し出した。そしてなるべく優しく聞こえるような声音で言う。
「一般人か? ここは危険だ。私についてきてくれ」
 とりあえず、安全な場所まで誘導するつもりだった。
 少女はきょとんとしていたが、やがて兎角の手をとった。兎角は彼女を立ち上がらせてやる。
 ひとまずブローカーのことは置いておこう。そう思った。一般市民の平和を守るのが、本来の警察の職務なのだ。
「……あ、あの、は、晴は……」
 辿々しく彼女が口を開く。何かを言いたいようだがうまく言葉が出てこないらしい。恐怖のせいだと、勝手に兎角は推測した。
「大丈夫。私も一応警察だ。安心してもらっていいよ」
 普段は使わない警察手帳を取り出した。それを見た少女は何故か息を呑み、余計しどろもどろになる。
「あっ、え、け、警察……?」
「ああ、だから落ち着いてくれ。……そうだ、君の名前は何て言うんだ」
 気を紛らわせるためにそんなことを尋ねてみた。
「……は、晴です。一ノ瀬、晴」
「そうか。いい名前だな。私は東兎角。兎角というのは、何でもないもの、という意味だ。よろしくな」
 そう自己紹介すると、彼女は可笑しそうに顔を綻ばせる。名前の由来をいつも聞かれるので、先に言っておくのが癖になっていたのだ。
「は、はい。よろしくお願いします」
 笑った顔を見て、兎角はふわりと何かの香りが広がったような感じがした。何だろう、少し埃っぽいような、それでいて温かみのある匂いだった。
「よし、行こう」
 しかし、どうするか。兎角は困っていた。一般人を避難させるなどということに慣れていないので、彼女をどこに連れていけばいいのかわからなかったのだ。
(まあ、軍に見つけてもらえば保護してくれるだろう)
 そう考えて、ひとまず軍の連中がいそうな所へ行くことにする。
「こっちだ」
 少女の手を引いて、表通りに一歩踏み出す。しかし彼女は少し躊躇しているような素振りだった。
「……その、そっちは……」
 目を伏せた彼女が、かすかに震えているのに気づく。
(怯えているのか? 一体何に?)
「おい、君……」
「ひっ……!」
 兎角が尋ねようとした瞬間、彼女が大きく目を見開いた。そこから読みとれる色は一つ。恐怖だ。
 振り返って彼女の視線を辿る。その先には軍の戦闘服を着た男たちがいた。その内の一人が、こちらを見た。そして驚愕の表情を浮かべ大きな声で叫ぶ。
「ブローカーだッ!」
「何っ!?」
 瞬時に複数の銃口がこちらを捉える。兎角は少女を抱えて裏路地に飛び込んだ。刻まれる銃声。兎角たちがいた場所に無数の弾痕が出来た。
「……無事か」
 折り重なっている少女に聞く。彼女は小さく頷いた。
「へ、平気……。東、さんは?」
「大丈夫だ」
 とにかく銃撃された以上、ここにいるのは危険だ。重いブーツの足音が表通りからこちらに向かってくるのが聞こえる。体を起こした兎角は少女の手を掴んで走り出した。
(一体、何がどうなってる)
 困惑する思考を何とか整理しようと試みる。
 軍の奴らは有無を言わさずこちらを撃ってきた。威嚇なんかじゃない。あれは本当に殺すつもりだった。
 どうしてだ。兎角の機関は存在していないことになっているが、一応一般の警察官として警察のデータベースには載っている。しかし確認もせずに、彼らは一般人の可能性もある自分たちを殺そうとしたのだ。
(待て。あいつらは撃ってくる前に、何と言っていた?)
 ――ブローカーだッ!
 まさか、と思った。兎角はブローカーではない。彼らの躊躇のない銃撃から、勘違いということもないだろう。
 だとしたら可能性は一つだった。
 兎角はちらりと後ろから付いてきている少女を見る。息が上がっていて、少し辛そうだが懸命に兎角に従っていた。
(……彼女が?)
 だがどう見てもそうは思えない。彼女は無害そのものだった。
(いや、今は追っ手を撒くことに集中しよう)
 裏路地をじぐざぐに進む。幸いにも入り組んだ通路だったので、しばらくすると追っ手の気配も無くなった。兎角たちは少し広い空間に出ると、立ち止まって一息ついた。走りっぱなしだったせいか、少女はへたりこんでぜいぜいと荒い息を繰り返している。
「……なあ、教えてくれ。お前は一体何者だ?」
 じっと少女を見下ろしたまま、兎角は尋ねた。手はホルスターに納めた銃に掛かっている。何か怪しい動きを見せればすぐ撃つつもりだった。
「……は、晴は……」
 戸惑いがちに彼女が何か言おうとしたときだった。
 床についていた彼女の手が光り始めた。正確には手のひらから発せられた光りが地面に反射している。すぐさまそれが収まったかと思うと、手の中に手榴弾が現れていた。閃光を発するタイプのものだ。
 兎角は言葉を失った。何もない空間から武器を取り出す者――仲介者、ブローカー。
「噂は本当だったのか……」
 もう決定的だった。目の前にいるこの少女こそが、軍や警察が今躍起になって探しているブローカーなのだ。
 兎角は銃を抜き、彼女に向けた。
「お前がブローカーだったとはな。すっかり騙されたよ」
「だ、騙すつもりなんか……!」
「多くの民間人を殺しただろう。虫も殺さないような顔して、その実大量無差別殺人鬼だったわけだ」
「ち、違う! 晴は誰も殺してなんかない!」
 必死な形相で少女は言う。その眼差しは真っ直ぐで、どこにも曇りなどないように思える。無差別殺人などするような人間に、こんな目はできないはずだ。兎角はそういった輩を嫌と言うほど見てきたからよくわかった。
「どういう、ことだ……?」
 また混乱してきた。彼女は確かにブローカーだが、ブローカーがらみの事件には関与していないとでも言うのだろうか。
「晴はただ、普通の人間として暮らしたかっただけ。それなのに、みんな晴のことを……」
 彼女は顔を覆って泣き出してしまった。ますます訳がわからなくなるばかりだ。
 この娘が言っていることが真実なら、警察や軍は何故凶悪犯として彼女を追うのか。
(私は一体、どうすればいいんだ……)
 兎角はもはや銃を下ろして途方に暮れていた。警察に身を置く者としては、彼女を連行するのが適切なのだろう。しかし誰も殺していないと主張する彼女を警察に突き出すことが、本当に正しい行いと言えるのか。そうは思えなかった。
(……正義、か)
 それにもっとも近く、そして遠い位置に兎角は立っている。そんな中途半端な自分に、何ができるというのか。……わからなかった。
「東か?」
 突然背後から呼びかけられた。兎角は銃を構えつつ振り向いた。小野田が立っていた。後ろに同僚たちの姿もある。
「おいおい、銃を振り回すなって。こんなところで何してるんだ」
「……小野田か」
「ん? そこにいる子はどうしたんだ?」
 小野田が顔をひょいと傾けて少女を見た。彼女の手に握られた手榴弾、そして二人の間に漂う歪な空気に、彼も感づいたようだった。
「おい! ひょっとしてこいつがブローカーか?」
 小野田が銃を抜くのを合図に同僚たちも銃を構えた。全ての銃口が少女を狙う。相変わらず勘の鋭い奴だ、と兎角は思った。
「……どうするつもりだ」
「どうするも何も、連行するに決まってるじゃねえか。よかったな、東。これで俺たちも表の連中にようやくでかい顔ができるぞ」
 見るからに色めき立つ小野田たち。兎角は違和感を覚えた。
 確かにブローカーを捕まえたとあれば、昇級も望めるだろう。彼の言う通り、表の警察機関の人間にも顔が立つようになるかもしれない。
(……だが、それでいいのか? 私はそんなことを求めていたのか?)
 繰り返してきた自問。――ここで、答えを出すべきだと思った。
「よし、じゃあさっそく連れていくか」
「待て」
 足を踏み出そうとした小野田を制する。
「……私が連れていく」
「ああ、お前が見つけたんだもんな。じゃあそうしろよ」
 兎角は少女を向いた。こちらを仰いでいる瞳は恐怖に揺らぎ、もう逃げられないと観念しているようでもあった。
 しかし兎角は気づいている。こんな絶望的な状況でも、彼女は救いの手を求め、それを信じていることを。
「立て」
 兎角は少女の手を掴んで立たせる。そしてさりげなく耳元に口を近づけて囁いた。
「……私が合図をしたら、耳を塞いで向こうへ走れ」
「え?」
「いいから。言う通りにしろ」
 そう言って少女を背にし、兎角は小野田たちと再び向かい合う。小野田が怪訝そうな顔をした。
「おい、どうしたんだ東。さっさとそいつを連れていこうぜ」
「悪いが、無理だ」
 即答する。小野田たちに困惑の色が広がった。
「……おい、東。お前まさか……」
「悪いな。これが私の答えなんだ」
 後ろ手に晴から受け取った閃光手榴弾のピンを抜いた。
「走れっ! 一ノ瀬!」
 手榴弾を放り、体を反転させ駆け出す。前方をもう晴が走っていた。
 背後からまばゆい閃光ととてつもない轟音が巻き起こった。うめき声と、めちゃくちゃに銃を乱射する音がする。兎角はもう振り返らなかった。
「……どうして、晴のこと……?」
 並んで走る彼女が問いかけてくる。兎角は正直に答えた。
「……わからない。ただ、そうするべきだと思ったんだ」
 ずっと繰り返してきた自問への答えは、直感だった。そのせいで兎角は今、裏の組織とはいえ警察という職を失ったと言える。いや、もっとひどい。裏切り者だ。
 だが気分はいつにも増して爽快だった。どうせこんな仕事はやめたいと思っていたのだ。丁度よかった。
「こっちだ。私に付いてこい、一ノ瀬」
「はい――兎角さん!」
 笑みを浮かべて、晴が兎角に答えた。兎角は自分の名前が、生まれて初めて呼ばれたような気がした。



BACK / TOP / NEXT



inserted by FC2 system