ブローカーズ・キーパー(悪魔のリドル/兎晴)


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9.東兎角と寒河江春紀は対峙する





 兎角はよろよろと体を起こした。
 思考がはっきりしない。耳鳴りがひどかったが、聴覚は回復してきているようだ。
 砕けたコンクリートが霧のように舞い上がっていて、視界が遮られていた。兎角はナイフを構える。銃は先ほど蹴り飛ばされてしまったから、武器はこれだけだ。しかしいざというときはやるしかない。
(どこだ……?)
 五感に神経を集中させる。すると、こちらに足音が近づいてくるのがわかった。崩れた壁から風が吹き付け、一気に視界が晴れた。
「よぉ。お前が東兎角か?」
 現れたのは別の奴だった。柔らかそうな髪をポニーテールのようにして、リボンタイのついた制服じみた服を着ている。シュシュのついた彼女の腕の中には、伊介が抱かれていた。目を閉じてぐったりしているのは気絶しているのだろうか。
「あたしは寒河江春紀。こいつの相棒みたいなもんかな。まあよろしくな」
 あまり敵意のない口調だったが、兎角は警戒を緩めなかった。
「そいつの相棒ということは、目的はやはりブローカーか」
「ああ、そーだね。今回も伊介さま一人でやると思ったんだけどさ。嫌な予感がして駆けつけてみたらこんなことになってるし、びっくりしちまったよ」
 彼女は伊介を下ろして、瓦礫にもたれかけた。取り出したハンカチで彼女の額から流れていた血や煤を拭い始める。
「んで、だ。東さんよ」
 こちらに背を向けたまま立ち上がり、彼女はゆっくりと振り返った。
「あたしの伊介に怪我させたのは――てめぇか?」
 急激に殺気が膨れ上がった。かと思うと一瞬のうちに春紀が目の前に迫っていた。反応する間もないうちに放たれた裏拳をもろに受けてしまう。続けて掌底で胸を突かれ、回し蹴りで一気に吹き飛ばされた。
「ぐぅっ……!」
 壁に叩きつけられ、兎角はその場に崩れ落ちる。立ち上がろうとするが、背中を思い切り踏みつけられる。
 見上げれば伊介と同じm10をこちらに向ける春紀がいる。注がれる眼差しは乾いていた。何度もその手で人間を殺してきた目だ。今度も躊躇なく引き金を引くだろう。
「悪いな。いつもなら標的以外殺さないけど、ちょっと頭に来てる。――死んでもらうよ」
 カチャリ、と銃が発射完了の合図を下す。絶対的な死の感覚。兎角は唇を噛みしめた。
 銃声が響く。しかしそれは春紀の銃からではなかった。目をやるとぎこちなく拳銃――ベレッタM92F――を構えた晴が立っていた。
「と、兎角さんに、手を出すな……!」
 震える声でそう言う。いきなり登場した彼女に春紀はきょとんとしていたが、やがて合点がいったように頷いた。
「なるほどね、あれがブローカーか。それにしては随分射撃が下手くそだな。素人同然じゃんか」
 兎角から離れた彼女は余裕しゃくしゃくとした足取りで晴の元へ向かう。
「来ないで! それ以上近づいたら、う、撃ちます!」
「別にいいよ。どうせ当たんないだろ?」
「くっ……!」
 ぐんぐん春紀は晴との距離を詰めていく。晴が危ない、と兎角は思った。腕に力を込め体を起こす。
(……守ると決めたんだ。こんなところで終わりにしてたまるか!)
「――晴に、触るなッ!」
 取り出したナイフを春紀に放った。
「うおっ!」
 完全に油断していた彼女だが、すんでのところでそれを受け止める。その隙にその横を通り抜け、兎角は晴の手を掴んだ。
「晴、こっちだ!」
「兎角さん!」
 すかさず春紀の銃撃が追いかけてきたが、追いつかれる前に兎角たちは瓦礫の後ろに逃げ込んだ。
「……本当によかった。兎角さんが無事で」
 晴が安堵の声をもらす。兎角は頷いた。
「ああ、助けられたな。お前が来なかったら今頃撃ち殺されていた」
 そんな会話ののち、兎角はぐっと気を引き締める。まだ危機が去ったわけではないのだ。
「晴、連射性のある銃を出せるか。それとさっきの拳銃も一丁欲しい」
「うん、任せて」
 晴はかざした手からFN P90と先ほど使っていたベレッタM92Fを取り出した。FN P90は貫通性と連射力に優れた少し変わった形のマシンガンだ。兎角はM92Fをベルトに挟んでP90を構えた。
「ここにいてくれ。片をつけてくる」
「……うん。兎角さん、死なないでね」
「もちろんだ」
 兎角は飛び出した。途端に春紀の隙のない乱射が襲いかかってくる。全速力で駆けながら兎角も彼女のいる方角に向けて銃撃を放つ。間にある瓦礫が粉砕し、残っていたガラスがバラバラになる。
 兎角は瓦礫の固まりに身を隠した。弾は限られている。次で一気に距離を詰めて勝負を決めるつもりだった。
 春紀の銃撃が頭上を掠めていく。呼吸を整え、兎角は待った。やがて銃の音が止んだのを見計らい、走る。
 引き金を引きながら春紀に向かっていく。彼女は残っていた柱の残骸に隠れたようだ。弾切れを起こした90Pを捨ててM92Fを抜く。再び春紀の弾が牙を向いた。兎角は横倒しのデスクを踏み台にして大きく跳躍した。
「なっ……!」
 全て動きは緩慢になる。意表を突かれた春紀の表情がはっきりと見えた。兎角は彼女の目の前に着地しM92Fを向ける。同時に春紀も同じように銃を構えた。銃口が互い違いに相手を睨みつけている。
 張りつめた緊張感が全身に漲る。時間という概念は消え去り、その場にある事物全ての動きが止まった。その中心で兎角と春紀だけが呼吸をし、生きていた。どちらかが引き金を絞れば、どちらかが死ぬ。
「はいはーい! お二人さん、そこまでっスよぉ」
 能天気な声で時は復活した。気がつけば鳰が二人の前に立っていた。
「さっきの爆発で、軍の奴らがこっちに向かって来てるっス。早めに撤収した方がいいと思うっスよぉ」
 言われてみれば確かに遠くからサイレンが聞こえてくる。あまりぐずぐずはしていられなさそうだ。
「何だお前。何者だ?」
 春紀が鳰を睨む。鳰はおどけた表情をしていたが、どこか裏があるような顔だった。
「……ウチはただの裁定者っスよ。水を差すようで悪いっスけど、今死なれたら困るんスよねぇ。晴ちゃんにも兎角さんにも。――そして春紀さん、あなたと大事な相棒さんにもね」
 裁定者? 新たに出てきた単語に疑問が生じる。しかし詳しく尋ねている時間はなさそうだった。春紀もそう判断したようだ。どちらからともなく銃を下ろした。
「兎角さん、大丈夫!」
 晴が駆け寄ってきた。そのままの勢いで抱きついてくる彼女を受け止める。それで幾分か気持ちが安らいだ。
「おい東兎角、忘れるなよ。今回は見逃してやるけど、次は本当に殺るからな」
 伊介を抱えた春紀が言ってきた。そう、これで終わったわけではないのだ。
「ああ。だが何度来ても同じだ。私は必ず晴を守り抜く」
「そうかい。まあ楽しみにしてるよ」
「あれ、春紀? ちょっと、何がどうなってるわけ?」
「おう、伊介さま。事情は後で説明するから今は黙ってあたしに抱かれててくれ」
 目を覚ました伊介とどこか抜けた会話をしながら、春紀は姿を消した。
 それを見送った後、鳰が笑いかけてくる。
「兎角さん、まだこれはほんの序章っスからね。ああいう奴らがこれからわんさかやってくるっス。簡単には死なないでくださいよ」
 それじゃ、ウチも行くっス。そう言って彼女は崩れた壁からビルの外へ飛んだ。直後、どこからか現れたヘリコプターが空の彼方へと去っていく。訳のわからない奴だ、と兎角は呆れた。RPGなんて無茶なものを持ち出したのも、きっとこうなることを予期してに違いない。相変わらず解せなかった。
 皆がいなくなった後、改めて兎角は晴と向き合う。
「晴、脱出するぞ。地下に車と緊急用の通路があるんだ。それを使う」
「うん! 兎角さん、一緒に行こう!」
 二人はしっかり手を取り合って、階段に向かった。



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