艦隊これくしょん


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ゆうさみ+他の艦娘詰め

キスマーク




 時計を見上げると、もう昼も下ってほとんど夕方に近い時間帯だった。窓から見える空も暗くなり始めている。
 ――さて、そろそろ切り上げようかな。
 夕張は研究室の椅子の上で大きく伸びをした。広い机の上に散らばっていた資料を集めてとんとんと端を整える。あとはこれをドックに持っていけば今日の仕事は完了だ。
 この場所は夕張の装備開発のための専用研究室だった。ここで資材を材料に実験をして、得たデータをドックに持って行って開発に役立てるのである。それが夕張の仕事だ。
 ふと、入り口がコンコンと軽やかにノックされた。
「はーい、開いてるわ」
 呼びかけると扉が静かに開き、島風が顔を覗かせる。珍しい客人だった。
「島風じゃない。どうかしたの?」
「いや、この前頼んでた装備、もう出来た頃かと思って」
 島風は淡々とした声色でそう言いながら中に入ってきた。相変わらず表情が微塵も変わらない娘である。大きいであろう瞳を半分ほど閉じ、つまらなそうな顔をしていることが多いが、本人曰くこれは真顔らしい。
「ああ、それならもう終わってるわ。ちょっと着けて確かめてみて」
 夕張は近くの棚を漁って、預かっていた主砲を取り出す。確か注文は使い勝手をよくするための軽量化だったはずだ。
 受け取った島風はそれを利き手に装着し、軽く腕を振ったり構えたりしてみせた。
「……うん。前より全然しっくりくる。さすが夕張ね」
 起伏なく誉められて、夕張はたはは、と笑い声を上げる。
「ありがと、助かった。じゃあそろそろ行くね」
 素っ気なく言った彼女はきびすを返して後ろ髪をかき上げた。その一瞬で、夕張はそのうなじに赤い跡が付いているのをはっきり見てしまった。紙のように白いものだから、余計に目立っていた。
「あっ」
「……何? 素っ頓狂な声出して」
 島風が怪訝そうに振り返った。どう考えてもさっきのは虫さされじゃなく――キスマークである。
 適当に誤魔化すつもりだったが、夕張はとっさにというのが苦手だったので結局正直に思ったままを話してしまう。
「いやその……首の後ろに、赤い跡が、ね」
 島風ははっとなって首の後ろに手をやる。それから苦虫でも噛み潰した顔になった。初めて露骨に表情が変わるところを見た。
「あのバカ……付けるなら付けるって言えっつうの」
 舌打ち混じりの呟き。夕張は苦笑いする。
「あ、あはは。島風にもそういう相手がいるんだねぇ、意外だなぁ」
「……まあね」
 島風は目を伏せる。しかしその眼差しにどこか満更でもなさそうな感じがあるように見えたのは、気のせいだろうか。
「じゃあ私、行くから。装備、ありがとね」
 ややぎくしゃくした足取りで島風は出ていった。夕張はぽかんとしたままそれを見送る。
 何事にも動じない彼女の感情をあそこまで表に引っ張り出す人とは、一体誰なのだろうか。少し気になる。
 それに、あのキスマーク――。
 思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。島風の後ろ姿と、五月雨の後ろ姿とが重なる。そういえば彼女にキスマークをつけたことは一度もなかった。触れ合うだけで満足して、何となく思い当たらなかったのだ。
 ――彼女の細い首筋に咲く、赤く色づいた私の跡。想像してしまう。
 夕張は一人、誰もいない部屋の中で顔を赤くした。


「あっ、夕張さん。ここにいたんですね」
 扉が開いて、五月雨が現れた。そして不思議そうな顔になる。
「……あれ? 何してるんですか?」
 寮の自室である。畳敷きの和室の真ん中で、夕張は武士の如く背筋を伸ばして正座をしていた。瞑想をしていたわけでも英気を養っていたわけでもない。五月雨を待っていたのである。
「夕食の準備が終わったみたいで迎えにきたんですけど……お邪魔でしたか?」
「い、いやいや! そんなことないよ」
 慌てて杖を軸に立ち上がったが、長く正座を続けていたせいでふらついた。
「夕張さん!」
 すかさず五月雨が駆け寄ってきて支えてくれる。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん……ありがと」
 鼓動がドギマギと騒ぐ。顔が近い。正座していた間中、邪なことばかり考えていたこともあって無駄に緊張していた。
「五月雨、ちゃん……」
 ざらついた声で名前を呼ぶ。僅かに顔を寄せた夕張に気づき、五月雨は何故か目を細めた。
「ふふ。もう、夕張さんったら」
「な、何?」
「眼鏡、掛けっぱなしですよ?」
 言われてようやく気が付いた。研究室にいる時は常に掛けているのだが、今日はぼんやりしていたせいか外すのを今まで忘れていたようだ。
「それじゃあ――しづらいでしょう?」
 五月雨の指がそっと眼鏡を絡めとって外した。そして彼女の方から近づいてくる。夕張は目を閉じて、彼女の唇を同じ箇所で受け止めた。
 最初は表面を合わせるだけの軽いキスのつもりだったが、あまりにも柔らかくてつい欲が出てしまった。舌を、差し入れる。それから五月雨の口の中を軽くちろちろと舐め、最後には彼女の舌に絡まった。彼女もまた抱擁を返してくれる。
 しかし夕張はすぐ口を離した。これ以上続けると止まらなくなってしまいそうだし、夕食を食べ損ねてしまう。それに、五月雨を待っていた理由は別にある。
「夕張さん?」
 黙り込んでいると五月雨がこちらをのぞき込んできた。その瞳が徐々に不安そうに曇っていくので、夕張は慌てて口を開く。
「あ、いやその、あのさ、五月雨ちゃん……キスマーク、つけてもいい……?」
 五月雨が目を丸くした。
「キスマーク……ですか?」
「う、うん。ほら、私たちそういうこと一回もしたことないし。何となくしてみたいなぁと思って。いやもちろん五月雨ちゃんが嫌なら別に……」
「いいですよ」
 早口になっていた夕張を、五月雨がやんわりと遮った。唇に笑みを携えている。
「ただ、あまり時間を掛けちゃうと、夕食に遅れちゃうので」
「も、もちろん。手短にね」
 ひとまず二人で畳の上に座る。夕張は五月雨の服のリボンタイを解くと、首筋を露出させた。
 つけるなら、なるべく見えないところがいいかな。
 そう思い、右の鎖骨の下辺りに口をつける。
「んっ……」
 五月雨の吐息が聞こえて、心臓が高鳴った。平常心平常心……と唱えながら少し強めに吸ってみる。確か何かの本で読んだ情報だと、結構吸いつかないと跡が残らないと言っていたような気がする。
 口を離して見てみる。うすぼんやりと赤くなってはいたが、すぐに消えてしまいそうだった。もうちょっと強めのほうがいいのか。
「つきませんね……」
 五月雨が言う。心なしか、瞳が少しだけ潤んでいるように見える。鼓動が更に早まった。
「そ、そうだね。もうちょっとだけ、強く吸ってみていい?」
「どうぞ……」
 先ほどと僅かにズレたところに唇を当てた。そして思い切り吸ってみる。じゅっ、と軽く音が鳴った。
「くっ……!」
 五月雨の息が耳朶に掛かって、背筋がぞくぞくと震えた。いけない、このままだと歯止めが利かなくなってしまう。……でも、もうちょっとだけ。
 少し長めに吸ってから、口を離した。するとそこには、はっきりと色づいた赤い跡が刻まれていた。虫さされとは違う鮮やかな薄紅色。夕張は目を見張った。
 彼女の白い肌の上に、自分の跡をつけた。よくわからない達成感が湧き上がる。
「ついた、ね……」
「つきましたね……」
「じゃ、じゃあ……ご飯、食べに行こうか!」
「あ、あの!」
 立ち上がりかけた夕張の肩に、五月雨の手が置かれる。
「どうしたの、五月雨ちゃん?」
「その……私も夕張さんに、つけてもいいですか?」
 彼女は顔を真っ赤にしながら尋ねてくる。そんな風にお願いされては、断れるわけもなかった。
「よ、喜んで……」
 夕張は五月雨の正面に座り直す。彼女の手が、服の裾に掛かってきた。
 ……結局夕食には、大分遅れてしまった。


「おっ、夕張じゃねーか」
 後日。廊下を歩いていると声を掛けられた。天龍が片手を上げて前からやってくるとこだった。
「天龍じゃん。どう、調子は」
「ぼちぼちだな。お前こそ、開発の方は捗ってんのか」
「ま、ぼちぼちだね」
 何気ない会話を交わす。ふと、夕張は天龍の首の側面が赤くなっているのに気づく。範囲が広いから、虫さされではなさそうだ。
「ん? 首、どうしたの?」
 そう尋ねると天龍は顔をしかめた。苦々しく言う。
「ああ、これな。……犬に噛まれた」
「は?」
 確かによく見ると歯形のようなものが残っている。しかしこの鎮守府に犬などいただろうか。
「それよりお前は、何で今日髪下ろしてんだ? いつも後ろで結んでたよな」
 言って、天龍が指を差してくる。夕張は苦笑いをして後ろ髪に触れた。今日は髪を肩に流していたのだ。
「いやぁ、まあ、イメチェン……みたいな?」
 本当は、彼女につけられた跡が三つほどうなじに残っているからなんて。
 言えるわけもなかった。



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