オリジナル


TOP


妹クラブ





 指定した時間の十五分前に待ち合わせの場所に着いた。
 周辺の駅ビルとも連結している巨大な駅の構内。周辺の地図が記された案内板が、落ち合う所の目印だった。
 藤野沙紀(ふじの さき)は落ちつきなく腕時計に目を落とす。彼女と久しぶりに会えるということで今朝家を出るときから心臓がやけに騒がしかった。
 服装も慎重に検討し、黒いレギンスパンツに大人しめのブラウスという大人っぽさを意識した格好にした。彼女の前では、やはり年上を気取っていたかったのだ。
 ――もうそろそろかな。
 五分ほど経った頃に、案の定声を掛けられた。
「あれ、沙紀お姉ちゃんもう来てたの? ごめん、待たせちゃったかな」
 顔を上げた沙紀は、ああ、と心が綻ぶのを感じた。
 急いでいたのか、少し息を切らせた活発そうな女の子がそこに立っている。Tシャツにミニスカートという姿が活動的で、大胆に剥き出された太ももは子供らしく少し日に焼けていて健康的だった。思わずじっと見入ってしまう。
「お姉ちゃん? ……そんなに見られたら恥ずかしいんだけど」
 視線に気づいた彼女が足をもじもじと擦り合わせる。
「ご、ごめん。ヒナちゃんが、あまりにも可愛かったから……」
 そう言ってあげると彼女は本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。ヒナ、というのは彼女の名前だ。
「えへへ、褒められちゃった。今日のお姉ちゃんも、すごく素敵だよ。大人の女の人ってカンジ」
「そ、そうかな……」
 狙っていたとはいえいざそう言われると照れてしまう。それを隠すために、沙紀は肩から下げていたミニバックを漁り始める。そしてそこから小さくて薄い紙袋を取り出した。
「はい、じゃあこれ。今日の分ね」
 中には折り畳んだ一万円札が何枚か入っている。ヒナは遠慮がちにそれを受け取った。
「ありがと。……ごめんね、お姉ちゃん。いつもこんなに貰っちゃって」
「いいのいいの。お仕事の給料も出たし、私のちょっとした気持ちみたいなものだから。ヒナちゃんは何も気にしないで」
「うん。ありがとね、お姉ちゃん」
 彼女は再び笑顔を見せる。眩しくて目を細めてしまいそうだった。
「じゃあまずは駅ビルの中に入ろうか。最上階にパフェがおいしいお店があるんだって」
「ほんと? 行く行く! じゃあデート開始だね!」
 横に並んできたヒナが手を取ってきた。その小さな指と沙紀の指とが絡み合う。その温かさと感触にどきりとしつつも、沙紀は彼女をリードするために歩きだした。
 お姉ちゃんと呼ばれているが、沙紀と彼女は姉妹ではない。ヒナ、という彼女の名前も、おそらく本当の名前ではないはずだ。
妹クラブ。彼女はそこに所属する女の子だった。
 先ほど渡したお金は彼女の指名料と、そして時間料。つまり沙紀は彼女を買った、客の一人なのである。


「うーん、デリシャース!」
 チョコレートパフェを一口食べたヒナが、頬に手を当ててとろけそうな顔になった。それを眺める沙紀の頬まで緩んでしまう。
 最初に沙紀が言った通り、駅ビルの最上階にある喫茶店に来ていた。カフェテラスを意識しているらしく、店の外の部分に飲食スペースがある。開放的でいい雰囲気だった。
「気に入ってくれたかな、ヒナちゃん」
「うん、もちろん! お姉ちゃんの見つけてくるお店って、いっつもセンス抜群だよねぇ」
「まあ、ネットで調べただけなんだけどね」
 沙紀は頬杖をついて、じっとヒナを見つめている。パフェを口に運ぶたびに彼女はその美味しさを表情で表現していた。
 ヒナは、本当に愛らしい女の子だ。
 よかった、あの時この子を選んで。心の底から沙紀は思う。
 沙紀がそのサイトを見つけたのは、つい一年ほど前のことだった。仕事終わりのぼんやりした頭でネットサーフィンをしていたら、たどり着いたのだ。
「……妹、クラブ?」
 ページの最初に表示された文字を読み上げる。その下に、「お姉ちゃん限定!」とファンシーな文字で書かれていた。
 何となく興味を抱いて概要に目を通すと、どうやら女性専用のデートクラブのようなものらしい。ただ、相手役は男性ではないようだった。
 貴女が望むままの、キュートで愛らしい妹を提供します――。
 そんな宣伝文句が並べられていた。
 つまりこれは、女性が女の子に会うために利用する、そういう類のクラブなのだ。沙紀は引き込まれるようにページをスクロールしていく。
 一回の料金は結構な額だったが、妹という設定の女の子とはどんなデートをしてもいいとのことだった。心と体に傷を残すようなことは禁止、と意味深な注意書きだけがあった。
 こういうのもあるんだな、と最初はただ感心した程度だったが、やがて沙紀は一日に何度もそのサイトを眺めるようになった。
 田舎である地元から飛び出したくて、短大を卒業してから憧れだった都会の街にある中小文具メーカーに就職した。しかし思い描いていたような日々はなく、ただ忙しさに時間ばかり奪い取られていった。
 周辺に知り合いもおらず、新しい友人も作れないまま、沙紀はやがて孤立している自分に気づいてしまった。都会にはたくさんの人が犇めき合っている。それなのにそれが尚更孤独の闇を深めているかのようだった。
 誰でもいい。とにかく誰かに接してほしかった。自分のことを、ただそこにいる人間として見てほしかった。
 沙紀が昔から好きになるのはいつも女の子だけだった。それならばこのクラブは、正に自分にうってつけだと言えるのではないか。
 ――一回だけ、利用してみようかな。うん、一回だけ。ものは試しってことで。
 ついに沙紀は、サイトに表記されていた番号に電話を掛けてしまった。
 三コールで出なかったら切ろう。そう考えていたのに、相手はたったワンコールで電話に出た。
『はい、ありがとうございます。妹クラブでございます』
 勝手に抱いていた陰湿なイメージとは裏腹に、電話口の声はにこやかで明るかった。意外なことに、若い女性の声だ。
 サイトには所属している女の子の名前と特徴が明記されていた。何故か写真はない。
 沙紀は上擦った声で、元気と素直さが取り柄であるという女の子「ヒナ」を指名してみた。
『ヒナちゃんに呼んでほしい名前をどうぞ。本名でなくてニックネームのようなものでも構いません』
 そう言われ、沙紀は自分の名前だけを告げた。これからデートする相手には、やはり本当の名前を呼んでほしかった。例えお金だけで成り立つ関係であろうとも。
 その後は待ち合わせ場所と日時を尋ねられ、来た女の子に当日の料金を渡すように言われたあと、電話は切れた。それで、予約が完了したのだった。
 約束した当日は、目を覚ました時からずっとドキドキしっぱなしだった。いつもより化粧も服の選別もかなり時間を掛けた。
 家にいても落ち着かないので、結局指定した時間の三十分も早く待ち合わせ場所に着いてしまった。今と変わらない駅構内の案内板の前だ。
 目印として持ってきた黒いハンドバックを強く握りしめる。大きな不安と少しの期待が入り交じって、頭の中が整理し切れていなかった。
 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
「沙紀お姉ちゃん?」
 突然呼びかけられて、沙紀は弾かれるように顔を上げ、そして唖然としてしまった。
 思っていたよりずっと幼い女の子が、目の前に立っていた。というより、どう見ても小学生くらいの子供である。
 ぽかんとしている沙紀に対し、向こうは不思議そうに首を傾げる。
「あれ、沙紀お姉ちゃんだよね? ほら、黒いハンドバック持ってるし」
 彼女は沙紀の持っているバックを指さす。それで確信した。
「えっと……ヒナ、ちゃん……?」
「うん、そうだよ。あたしを選んでくれてありがとう。今日はよろしくね、お姉ちゃん」
 彼女が顔中一杯に微笑む。あどけなく、そしてどこまでも優しげな笑顔だった。
全身がかっと熱くなり、そのまま浮かび上がってしまいそうな感覚が走ったのを、今でも覚えている。間違いない。その一瞬で自分は、ヒナを好きになってしまった。
 それ以来。沙紀は受け取った給料のほとんどを、ヒナとの時間のために消費している。
「あっ、ねえお姉ちゃん! このヘアピン可愛いねぇ」
 喫茶店を出たあと、沙紀たちは同じビル内の雑貨屋に来ていた。棚に並んでいた猫の飾りがあしらわれたヘアピンを、ヒナが手に取ってはしゃぐ。
「ほんと、ヒナちゃんは猫が好きなんだね」
「だって可愛いからね。 ほら、どうかな? 似合う?」
 ヘアピンを前髪につけて気取ったポーズをとるヒナ。少し額を覗かせると、尚更彼女は活発そうになる。よく似合っていた。
「うん、可愛い。よかったら買ってあげようか?」
「えっ、ほんと? でも……」
「いいよ。もう、ヒナちゃんはすぐ遠慮するんだから。私にいい格好させてよ」
 そう言ってやると、彼女は「ありがとう!」と心底嬉しそうに顔を綻ばせる。
 彼女に笑い掛けられるたびに、こちらまで嬉しくなってしまうから不思議なものだ。何でもしてあげたくなってしまう。
 だが同時に、思う。
 自分と一緒じゃない時間にも、この子は他の女の人のことも「お姉ちゃん」と慕い、その溌剌とした笑顔を差し向けているのかと。
 微かにさざめいた思いを、首を振るって打ち消す。
 ――そんなの、考えたって仕方ないよね。今は、私だけのヒナちゃんなんだから……。
 しばらく色々なお店を巡ってからふと時計を見ると、もうすぐ四時になろうとしているところだった。
 沙紀が時間を確認したのに気づいたらしい。さりげなくといった様子で、ヒナが身を寄せてきた。
「ねえ、お姉ちゃん。……そろそろ私、お姉ちゃんのおうちに行きたいな」
 どことなく艶っぽい囁き。鼓動が一拍だけ強く刻まれる。沙紀はぎこちなく頷いた。
「……うん。じゃあ、行こっか」


 二駅ほど電車に揺られた先にある住宅街。降りた駅のすぐ近くに建てられたマンションが、沙紀の住んでいる場所だ。それなりに古ぼけてはいるが、清潔感のある外観を気に入っていた。
 エレベーターに乗って四階で下り、廊下の一番隅にある扉の前に立つ。
「さあ、どうぞ」
「ありがと。おジャマしまーす!」
 鍵を開けるとヒナが先に中へと入っていく。沙紀も続いてから扉を閉める。
「ヒナちゃ……」
 振り向くと、突然ヒナがぶつかるように抱きついてくる。慌てて受け止めた。
「お姉ちゃん」
 彼女が甘えるような目で見上げてくる。肩の辺りまでしかないその小さな体を、沙紀は抱きしめ返した。腕の中の感触は柔らかく華奢で、力を込めればつぶれてしまいそうだった。
「……チューして」
 ヒナが唇を突き出してねだる。沙紀は頷いて、ゆっくりと身を屈めた。彼女の両手が頬に添えられてそのまま引き寄せられ、唇が重ねられた。
 沙紀はその花びらのような薄い唇を包み込み啄んでいく。あまりにもなめらかで、甘美な果実。
「ふぁっ……」
 口を開ければ、微かな吐息と共に小振りな舌が差し込まれる。一生懸命に歯茎や口蓋を愛撫するそれにたまらなくなって、沙紀は自分の舌を絡めた。伝ってくる彼女の唾液に、頭の芯が痺れていく。
「シャワー浴びてから? それとも、このまま?」
「……このまま、ベッド行こうか」
 ぎゅっともう一度ヒナを抱き寄せてから、沙紀は言う。


「もう、お姉ちゃんがっつきすぎ」
 手狭なシングルベッドに押し倒すと、ヒナはくすぐったそうに笑い声を上げた。体の奥から生温い何かが噴き上がるのを感じる。自分は目の前の小さな女の子に、欲情してしまっているのだ。
 一瞬だけちらついた罪悪感は、いつものようにすぐ消えてしまう。沙紀は顔を下ろして、今度は自分からヒナの唇の間に舌を差し入れた。かき乱し、唾液をすする。
「んっ、あっ……お姉ちゃん……」
 口を離したら、今度はその細すぎる首筋にかぶりつく。少し日に焼けた薄い皮膚。その下で脈打つ血の流れにそって舌を這わせた。
 それからまだ膨らみ始めたばかりの胸に、服の上から触れてみる。ブラをしているらしかったが、その柔らかさは十分指先に伝わってきた。
「ヒナちゃん、服、脱いで……?」
「あ、うん。……お姉ちゃんも、脱いでね? あたしだけだったら、恥ずかしいからさ」
 照れくさそうにはにかむ彼女に、また沙紀は内なる情欲を揺さぶられてしまう。
 ベッドに座って、お互いの服を脱がせ合う。ブラウスとTシャツを、レギンスパンツとミニスカートを。そしてブラとショーツを外して、二人は生まれた姿のまま向かい合う。
「ヒナちゃん、綺麗だね……」
 囁きかける。手足とは違い日焼けの行き届いていない体は驚くほど白かった。肉付きも薄く無駄な脂肪など一切ついていないが、二つの緩やかなカーブを描いた膨らみだけは柔らかそうに実っている。未発達の体というのはここまで美しいものなのかと、毎度の如くびっくりしてしまう。
「もう、そんな見たらやだってば。あたしなんて、全然ひんそーな体なんだからさ」
「そんなことないよ。ヒナちゃんはほんとに……」
「はい、ストップストップ。それ以上は恥ずかしいからダメ。それに、あたしは――」
 にじり寄ってきたヒナが、沙紀の体に寄り添ってきた。肌と肌が、ひたりと密着する。
「――お姉ちゃんの体の方が、綺麗だと思うな」
 乳房に小さな手のひらが添えられる。きゅっと指が沈み込んできた。
「お姉ちゃんのおっぱい、大きいよね。すごく気持ちいい……」
 彼女はうっとりとした声を出して、そのまま胸を揉みしだいた。
「ここもほら、可愛いよ」
「あっ……」
 胸の先端の色づいた突起に、彼女が口をつける。既に張り始めていたそこは生温かな刺激を与えられてたちまち固さを増していく。
「こりこりしてきた。おいしいよ、お姉ちゃん」
「んっ、ヒナちゃんそんなこと言っちゃ……っ」
「お姉ちゃん可愛い。……好きだよ」
 にっこりと微笑み掛けてきて、彼女は沙紀への愛撫を続ける。
 ――それって、他の人にも言ってるの?
 ふとそんな言葉がよぎってしまう。
 他の「お姉ちゃん」にもそう言って、今と同じように彼女は触れてやっているのだろうか。考えないようにしていたことが、堰を切ったように頭の中に溢れ出てきてしまった。
「わっ!」
 気づけば沙紀はヒナをベッドの上に組み敷いている。そして衝動に支配されるままにその幼い体にむしゃぶりついた。
「あっ! だめぇ、跡ついちゃうよ……っ!」
 きめ細かな皮膚に深く吸いつき、舌を這わせていく。彼女に残っている他の人間の痕跡を消したくて、全身を這いずりまわった。彼女の無垢な肉体が、自分の唾液によって汚されていく。
「んくっ、あぁっ!」
 胸の先で完全に芽吹いていた肉蕾に喰らいつく。少し痛いくらいに噛んでやると彼女が背をしならせた。
「ヒナちゃん、気持ちいい?」
「うん、いいよぉっ……おねいちゃっ……!」
 快感に耐えるように歪む彼女の表情に、そそられた。もっと汚してしまいたいと思った。この子を自分の色に、もっと。
「ヒナちゃん、四つん這いになってくれる?」
「んっ、こう……?」
 ヒナは手と膝をついてこちらに尻を突き出すような格好になる。
 沙紀は思わず生唾を呑み込んだ。足の付け根の間にある、幼い秘裂が丸見えになっている。
「んっ、そこは……」
 指を添えて、そっと柔肉をくつろげる。鮮やかな真紅色に色づいた果肉が、沙紀の目の前に晒された。ぐっちょりとぬめりを帯びて光沢まであり、開いてしまっている秘口からまた新たな蜜が滴ってベッドのシーツにシミを作る。刺激的な光景だった。
「いっぱい濡れちゃってるよ、ヒナちゃん……」
 顔を近づけ、食らいつくように幼裂に口づける。舌の表面で蜜に汚れた内側を拭い、ふやけた薄い花びらを唇で挟み込み、しごき立てるように動かした。
「ふぁっ! そんなことっ! あんっ、すごいよぉ……っ!」
 腕に力が入らなくなったのか、彼女は崩れ落ちて突っ伏してしまう。しなやかな曲線を描いたその背中に、沙紀は折り重なっていく。
「えっ、お姉ちゃ……んあぁっ!」
 彼女の亀裂に人差し指と中指をあてがい、そのまま一気に貫いた。いとも簡単に呑み込まれてしまう。きゅうきゅうと中の襞が締め付けてきた。
「くっ……ヒナちゃんの中、熱っ……。火傷しそう……」
「んぐっ、はあぁっ! だめぇ動かしたらぁっ!」
 ぐっと膣襞を持ち上げ、こすりつけるように指を蠢かせる。彼女が弱いところは、熟知していた。そこを徹底的に責めてやる。
「あんっ、だめぇっ! おねえちゃぁっ……!」
「ヒナちゃん……好き。好きだよ……」
 背中にぴったりと寄り添ったまま、追いつめるように彼女の乳房を揉みしだき背中に歯を立てた。どろりと蜜を溢れさせる秘口を抉れるほど穿ってやる。びちゅっ、ぐちゃっ、と淫らな音が響いていた。
 ヒナの吐息が断続的になる。きっともうすぐなのだろうと更に激しく彼女を責め立てていく。
「あぁっ! いくっ、いっちゃうっ! んあぁぁっ!」
 背を反らしたまま、彼女は大きく腰を震わせる。絶え間なく押し寄せる快楽の波に、必死に耐えているようだった。
「……好き」
 ぐったりと横たわった彼女のうなじに、沙紀はそっと自分の唇の跡をつけた。


 ヒナが玄関スペースに屈み込んで、たった今履いたばかりの靴の紐を結んでいる。その背中を、沙紀は部屋の中からじっと穴が空くほど見つめていた。
 ああ、彼女が帰ってしまう。焦燥にも似た感情が頭の隅にちらつく。外はもうとっくに日が沈んで暗くなっているようだった。それなのに時間が経った気はまるでしない。まだ彼女と別れるには、名残惜しかった。名残惜しすぎた。
「じゃあ、あたし行くね。今日はありがとう、沙紀お姉ちゃん。すっごく楽しかったよ」
 立ち上がって振り向いた彼女は、沙紀を見て目を見張った。きっと恐ろしく思い詰めたような顔をしているのだろう。自分でもよくわかっていた。
「……そんな寂しそうな顔しないで、お姉ちゃん。今生の別れってわけじゃないんだからさ」
 彼女はつま先立ちになって、両手で沙紀の頬を包み込むようにする。その温かさに、何だか泣き出しそうになってしまった。彼女との時間は、決して安くはない。きっとまた一ヶ月以上は会えないだろう。
 今日はいつも以上に、彼女と離れたくなかった。
 きっと彼女が、自分以外の人間とも同じように過ごしているのだと、そんな当たり前のことに気づいてしまったからだ。
「じゃあ、お姉ちゃん。またね。電話、待ってるから」
 彼女は入り口の扉を開けて、出ていこうとする。
 どうしたことだろう。無意識のうちに沙紀は足を踏み出して、その腕を掴んでいた。
「……行かないで、ヒナちゃん」
 今まで堪えていた想いが、ついに溢れだした。もう止まれない。
「ねえ、私と一緒にここで暮らさない? そしたらヒナちゃん、もうこんなことしなくていいんだよ。私がヒナちゃんの分まで稼ぐから。だから、一緒に――」
 突然ぐいっと引き寄せられて唇を塞がれた。渦巻いていた沙紀の言葉を、舌先でヒナは掻き乱してしまう。
「あっ……」
「ダメだよ、沙紀さん」
 間近で彼女は微笑む。はっとするほどその表情は大人びて――どこかもの悲しそうだった。
「……あたしたちの関係に、これ以上続きなんてないんだよ。わかってるでしょ?」
 突き放すような言い方だった。何も言えない沙紀に背を向け、彼女は扉を開けた。蛍光灯の無機質な光がそこに横たわっている。
「……じゃあ。またね、『お姉ちゃん』」
 最後に子供らしく無邪気にはにかんでから、彼女は出て行ってしまう。そのうなじに先ほど自分がつけたばかりの赤い跡が刻まれているのが、最後に見えた。目の前が滲む。
 わかっていた。そんなことは。いくら願い望もうが、あの子は自分のものにはならない。
 ――私では、あの子を幸せになんか、できないんだ。
 涙が一筋、こぼれた。どこにも行き場のない、そんな悲しみを纏った温かな雫だった。
 沙紀はその場にしゃがみ込み、喉から漏れ出す嗚咽をただ聞き続けていた。



少女は夢に堕ちていく

「……可愛いよ、ヒナちゃん」
 耳元で甘く囁く声がした。それから髪をゆるやかな手つきで撫でられる。
 ヒナ、と呼ばれた少女の視界は闇に覆われている。何故なら目隠しをされているからだ。同時に両手も、SMプレイ用の布が巻かれた手枷によって後ろで拘束されていた。
きっと今目の前でこんな自分の姿を眺めている彼女は、うっとりとにやけているに違いない。
「茜お姉ちゃん……っ」
 やや上擦り気味に彼女をそう呼ぶ。すると開いた口に指を突っ込まれた。蹂躙するように二本の指が蠢く。
「ねえ、ヒナちゃん。今どんな気分? お姉ちゃんに、ちゃんと教えて」
「んむっ……は、恥ずかしいれす……っ」
 舌を摘まれているせいで口が回らない。それで彼女は満足したのか口から指を抜いた。そして今度はお腹の辺りに触れた手がゆっくりと胸まで這い上がってくるのを感じた。
「んっ、あっ……!」
「ふふ、敏感になってるのね。ちっちゃい乳首なのに、勃ってきちゃってるよ……?」
 ぐりっ、と胸の突起をピンポイントで押し上げられて、思わず仰け反ってしまう。
「あっ、だめ……っ! 強いよ、お姉ちゃん……っ」
「ヒナちゃん。もっとよがって。お姉ちゃんの手で、ぐちゃぐちゃに乱れる可愛い姿……見せてね」
 高揚して上擦った声。あまり人と接することのない仕事をしている、と言っていた彼女は、普段はどちらかといえば引っ込み思案で大人しそうだった。
 それをこんなにも嗜虐的に変貌させてしまっているのは、おそらく自分なのだろう。そう思うと、ヒナは気分が高ぶっていくのを自覚する。
 ――あたしを、もっと愛して。お姉ちゃん。
 くすぐるように、彼女の手が全身を弄ぶ。
 その一つ一つにヒナは嬌声を上げて体を震わせて、彼女の望む反応を返してやった。


 ふと顔を上げると星のない夜空が広がっていた。ヒナははぁ、と小さくため息をつく。体が若干気だるく、知らぬうちに力が入っていたのか内股が痛くて歩きにくかった。
 夕方からのデートコースだったので、時間はもはや深夜に程近いようだった。歩いている閑静な住宅地は電灯が並んでいるばかりで、誰ともすれ違うことはなかった。
 やがて似たような四角い住宅が並んでいる一画が見えてくる。寸分違わぬ外観が肩を並べている様は正に作り物めいていて、玩具の家のようだとヒナは思う。
 そのうちの端にある家の前に行く。持っていた鍵を使って玄関を開け、靴を脱がないまま中へ上がり込んだ。
 ここは妹クラブの、いわば事務所のような役割の場所だった。
「鳴子さん、戻ったよ」
 本来はリビングだったらしい部屋に入りながら、ヒナはそう声を掛ける。
 広い空間の真ん中に、ぽつんと大きなデスクだけが置かれている。そこに座ってノートパソコンと向かい合っていた女性が、ヒナの方に目をやった。
「ヒナ、おかえり。今日も遅くまでご苦労様」
 彼女はひらひらと手を振るって言った。相変わらず何を考えているのかよくわからない人だった。端正な顔立ちは綻んでいるが、どこか作り笑いのようだ。黒のパンツスーツという出で立ちも、まったく隙を窺わせない雰囲気に一役買っていた。
「あれ、モモちゃんとヒバリちゃんは?」
 共に妹クラブに所属している女の子たちの名前だった。周りを見渡すがここには鳴子しかいないようだ。
「もうとっくに帰ったわよ。あんたがお仕事終えたってことは確認したから、今日はもう帰っていいわよ」
「うん、わかった。あ、そうだ。はい、これ今日受け取ったお金」
 ヒナはスカートのポケットから小さな紙袋を取り出し、鳴子に差し出す。今日の相手から待ち合わせた時に貰った、自分の代金が入っている。中を見てはいないがそれなりの厚みがあった。
「いいわよ、ヒナが全部持ってって。臨時ボーナスってことで」
 何でもないことのように彼女がさらりと言う。
「えっ、でも……」
「遠慮しなくてもいいわ。どうせお金、ないんでしょ?」
 少し迷ったが、結局ヒナは札束の入った紙袋をポケットに戻した。彼女の言う通りだった。自分は確かに、お金に困っている。それならこれは有り難く頂戴しておくべきなのだろう。
「ねえ、鳴子さん」
「ん、何かしら?」
「鳴子さんはさ、何でこんなことしてるの?」
 ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみる。
 鳴子はヒナが所属する「妹クラブ」のオーナー的存在だった。他に従業員などは見たことがないので、おそらく彼女一人でやっていることなのだろう。
 資金稼ぎが目的でないのは明らかだった。それなら彼女はもっと自分たちを手荒く扱っているはずだし、今手の中にある金も全て彼女のものになっているはずだ。
「……私が、あんたたちみたいなちっちゃい女の子が好きだからよ」
 くわえた煙草に火をつけて彼女は答える。吐き出した煙はため息混じりで、どこか憂い気だった。彼女はつまらそうな口調で続ける。
「だから私と同じような人が、手軽に可愛い子を愛でられるようなクラブを作りたくてね。思ったより大盛況で、よかったわ」
「……それが理由なの?」
「そうよ」
 脱力してしまう。正直さっぱり理解できなかった。
「何それ。意味わかんないよ、鳴子さん」
「そういうものよ。世の中ってのは大抵意味わかんないことで出来てるの。それに――」
 不意にパソコンのモニターを見つめていた鳴子が、ヒナの方へと向き直った。
「――あんただって、本当は楽しんでるくせに」
 だからここにいるんでしょう? と彼女は口元を歪ませる。それとは真逆にまったく笑っていない瞳が、呆けたヒナの姿を映しこんでいた。何だか心の内を見透かされているような感じがして、後ずさってしまう。
「じ、じゃああたし、帰るね。臨時ボーナスありがとう、鳴子さん」
「はいよ。気をつけて帰りなよ、ヒナ」
 パソコンのキーボードを叩きはじめた鳴子に背を向け、そそくさと玄関へと向かった。
 ――ヒナ、か。
 外に出て駅の方角へと歩き出しながら、思う。最近は本当の名前より、そう呼ばれることの方が多くなってきていた。
 鳴子は正しい。そう認めざるを得ない。自分は多分楽しんでしまっている。与えられた、ヒナという少女の役割を。


 電車に揺られて、停車駅一覧の端っこにある終点で降りた。ここにも人の姿はまったくなかった。世界の最果てにでもやってきたような気持ちになる。
 駅から出て五分も掛からないうちに、薄汚れたコーポラスの住宅にたどり着く。壁の塗装は剥がれ掛け、所々錆が浮いている。今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
 コンクリートの階段をのぼってその先にある部屋の前に立ち、扉を開ける。途端にすえた匂いが漂ってきた。
「……ただいま」
 ヒナはそう言って中に入る。畳の床には菓子パンの袋や紙くずなどのゴミが散乱している。薄暗い室内にテレビだけが点いていて、その前に薄汚い格好をした男が座り込んでいた。でっぷりとした腹が足についてしまうのではないかというほどの背中が丸まっていた。漂ってくる汗の匂いにヒナは顔をしかめる。
「お父さん、電気くらい点けたら」
 返事はない。彼は酒の空き瓶が立ち並ぶちゃぶ台の上をぽんぽんと叩いた。
「金は?」
 彼はそれだけ言った。
 ――娘に対しておかえりも何もなく、一言目にそれか。
 もはや怒る気にもなれず、ヒナはちゃぶ台にポケットから取り出した紙袋を放り投げた。すぐさまそれを手に取った彼は中身を勘定し始める。勝手にしろ、とそっぽを向いた。
 台所で顔だけ洗い寝間着に着替えてから、ヒナは押し入れを開けた。布団が敷かれている。上がり込んで、内側から襖を閉めた。その手狭なスペースが、ヒナとこの家を分け隔てる唯一の場所だった。
 布団にくるまり、目を閉じる。思ったより疲れていたのか、すぐに眠気がやってきた。
「おやすみなさい、あたし。今日もお疲れ様」
 小さく言って、自分の体を両手で抱きしめる。
 明日になれば、自分はまた「ヒナ」になれる。こんな掃き溜めで過ごしている惨めな子供なんかじゃなく、無邪気で愛らしい誰かの妹に。
 ――あたしを、もっと愛して。お姉ちゃん。
 誰に向けたかもわからない祈りのような言葉を抱いて、ヒナは夢の世界へと落ちていった。



TOP



inserted by FC2 system