咲-saki-


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小悪魔シズちゃん

穏憧




 放課後。少し早めに私とシズは部室にやってくると、他の人たちはまだ来ていないみたいだった。一番乗りだ。
「ありゃ、アコ、誰もいないね」
「そだね。座って待ってようか」
 麻雀卓に備え付けられたキャスター付きの椅子に腰掛ける。途端にシズが背もたれに反り返るような姿勢になった。伸びのつもりらしい。
「んー! よっしゃ、今日も打って打って打ちまくるぞぉ!」
 更には勢いよく椅子をぐるぐると回転させる。まるで落ち着きのない子供だ。
「こら、シズ? 元気なのはわかったけど、そんな風にしてたら危な……」
「うわっ!」
 次の瞬間、バランスを崩したシズが椅子ごと床にひっくり返った。がたん、と大きな音が部室に響き渡る。
「ちょっ、シズ! 大丈夫!?」
 すぐに倒れている彼女に駆け寄った。仰向けに寝転がって目を閉じた姿は、ぐったりとしているようにも見える。
 もしかして頭を打ったんじゃ……。不安が過ぎった時、彼女が瞼をゆっくりと持ち上げた。肩から力が抜けた。
「んー……アコぉ?」
「もう、びっくりしたでしょ! 平気? 頭とかぶつけてない?」
「頭は大丈夫だけど……その、体が」
「ど、どこか痛むの?」
「自分じゃ、ちょっとわかんない」
 流し目。わずかに高揚した頬。軽く開いた艶やかな唇。何だか突然シズが大人っぽくなったような気がした。
「ねえ。アコが見て、確かめてくれる……?」
 突然シズが自分のジャージのファスナーを下ろし始めた。無機質な音と共に、シンプルなスポーツブラが露わになる。ごくりと唾を飲み込んでから、我に返って慌てて止めた。
「し、しししし、シズ! あんた、何やってんのよ急に!」
「何って、ただの確認だよ?」
 もしかして、エッチなこと考えちゃった?
 そう言って挑戦的にシズは微笑む。どう考えてもいつもの彼女ではなかった。
「そ、そんなこと考えてないし! ていうかシズ、何か変だよ?」
「私が変なのは、アコが悪いんだよ。だからさ、責任、とってね?」
 寝ころんだまま、彼女は強い力で私を引き寄せた。息がかかるほど近くにまで。この状況はもう私の許容できる範囲を超えていた。
「ほら。口の中も怪我してないか、確認して?」
 容赦なく近づいてくる唇に、視線が吸い寄せられる。
 シズとのキスは初めてじゃない。でもここは部室であり、いつ誰がくるかわからない状況でこんなことするのはいかがなものか。
 そんな小難しいことを考えてはいたけれど、迎え入れる準備は万端な私である。そのまま目を閉じてシズの唇の到達を待つ。
「憧ちゃん、穏乃ちゃん、お待たせっ! お姉ちゃんと灼ちゃんはもう少し遅れるらしいから、三人で三麻でも……」
 そこで、場違いなくらい陽気な玄が部室に入ってきた。そして床の上で折り重なっている私たちを見て、笑顔のまま固まった。
「……ごゆっくりどうぞー?」
 逆再生のように後ろ向きで出ていこうとする玄。「ちょっ、待って! 違うから!」と私は慌てて呼び止めた。


「なるほど、穏乃ちゃんが突然おかしくなっちゃって、憧ちゃんを襲ったと」
「……うん。まあ」
 ひとまず麻雀卓に玄を座らせて、私は丁寧に今までのことを説明した。釈然としてない様子だったが、何とか誤解は解けたようだ。
 だが私の正面に座るシズは事の当人にもかかわらず知らん顔をしている。そのちゃっかりとした態度は、やはりいつものシズらしからぬ、といったところだ。
「確かにいつもと雰囲気違うかも。穏乃ちゃん、何か変わった感じはある?」
「別にいつも通りですよ。それより三人でしませんか、三麻。私、上手いですよ?」
 含みのある言い方をするシズ。声にもそこはかとない妖艶な響きがあって、どきりとしてしまう。
「た、確かにちょっと性的な感じだね……穏乃ちゃん」
「く、玄! 性的とか言わない!」
 とにかく今のシズを何とかしなければ私の理性……もとい麻雀部の秩序が崩壊してしまう。とはいえ、どうしたらいいのか皆目見当もつかない。
「玄、何か気づいたこととかないの?」
 ひそひそと隣に座る玄に言う。ひとまず彼女の意見が知りたかった。
「……んーと、ちょっと非現実的な仮説なんだけど」
「何? 何でもいいから言って」
「もしかしたら穏乃ちゃん、転んだときの衝撃で今みたいになったんじゃないかなぁって」
 そんな漫画みたいな展開、とは思ったが現にそれしか原因が考えられないのだから笑えない。
 だけどそうだとしても、どうすれば元のシズに戻るのだろう。頭をひっぱたくとか? そんな壊れたテレビじゃあるまいし。
「何をこしょこしょと話してるのかなぁ?」
「わあっ!」
 シズが私のことを覗き込んでくる。やたらと近い。
「私にだけ隠し事なんてよくなくない? 教えてほしいなぁ」
 シズがいたずらっぽい笑みを浮かべる。更に距離を詰められて、私は椅子と一緒に後ずさりした。
「シ、シズの話してたの。私としては今のシズも魅力的だけど、いつもの天真爛漫な感じに戻ってほしいかなぁ、とかね」
 とっさに口から出た言葉だったが、いい鎌掛けだった。
 結局のところ、本人のことは本人が一番よくわかっているはずだ。解決方法をぽろりとこぼすかもしれない。
「んー、そう? アコがそう言うなら、いつもの私に戻ろうかなぁ」
「ほ、ほんと?」
「もちろん。ただし……」
 シズが誘うような眼差しになる。とてつもなく嫌な予感がした。
「今私とキスしてくれたら、ね?」
 やっぱり、とんでもないことを言い出した。
「はぁあああッ? ちょっ、何言って……」
「恥ずかしいの? ほら、いつもしてるみたいにするだけだよ?」
 あたふたしている間に、首の後ろに腕を回された。シズと私はこれ以上ないくらい接近している。身じろぎしただけで触れてしまいそうなくらい。
 心臓が急加速を始める。
「シズ……無理だってば……」さすがに玄の前では抵抗がある。
「そっか。じゃあ仕方ないなぁ」
 不意にシズが身を引いた。あっさりとした態度にまた不安を覚えたが、やはりそれは的中した。
「アコがしてくれないなら、玄さんにしてもらおうかなぁ」
「わ、私!?」
 シズに視線を向けられて、玄が戸惑ったような声を上げる。
「シズ、あんたどうして……!」
「だってアコ、無理なんでしょ?」
 というわけでお願いしますね、玄さん。
 シズの手が玄の頬に触れる。玄は抵抗もせずただ唖然としてばかりだった。このままではとんでもないことになってしまう。
「ストップ! わかった、わかったから!」
 私は大声を上げた。シズが動きを止めて私を見る。玄は完全にフリーズしていた。
「アコ、どうかしたの?」
「わかったわよ! するわよ、キス!」
 やっぱり、シズが他の人とそういうことをするのは見たくない。
 高らかに宣言すると、シズが拍手さながら手を叩いた。「よくできました」などと言いながら。
「じゃあ、もらうね? アコの唇」
 両肩に手を置かれて、再びシズが近づいてくる。私はもう覚悟を決めて、目を閉じた。
 こんな別人のようなシズはもうたくさんだった。私は、ありのままの彼女のことが好きなのだ。
 もしかしたら彼女の言う通り、キスすることで元に戻るかもしれないし。今は玄も、呆然としていて見てないだろうし。
 半分やけくその気持ちで、私はその時を待った。
「みんなごめんねー。進路のことで先生と話してて……」
「委員会の仕事があった。遅れてごめ……」
 ふと入り口が開いて、宥姉と灼が入ってきた。目を閉じていたから、瞬時に私の耳は扉の音を捉えていた。
 そして私はどうしたかと言うと、とっさにシズを突き飛ばしていた。
 おそらく宥姉たちの前に広がっていた光景は、床に寝そべっているシズ、何故か放心状態の玄、そして一人顔を真っ赤にしている私という不思議なものだったろう。
「……何かあったの?」
「べ、別に? ちょっと三麻でハッスルしすぎちゃったっていうか」
「穏ちゃん、床で寝ちゃってるけど……」
「あっ、そうだシズ!」
 私はシズに駆け寄る。また椅子ごと投げ出されたらしい。
「シズ、大丈夫? しっかりして」
 これで元に戻ったかもしれない。期待を込めて、私はシズを揺り動かした。
 やがてゆっくりと彼女は目を開く。
「ん……あ、アコ……」
「シズ! よかった、元にもど……」
 言い切る前に、私はシズに抱き寄せられてあっという間に唇を奪われていた。
「今日もとっても素敵だね、私のアコ。ジュテーム、愛してる」
 歯が浮きそうな言葉を並べ始めるシズ。どうやらまた別の性格に入れ替わってしまったらしい。
 唖然としているみんなの視線が痛い。私は苦笑いを浮かべながら言った。
「……いやぁ、私とシズ、付き合ってるんだよねぇ」
 よくわからないタイミングで、私たちの関係をカミングアウトすることになったのだった。



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