咲-saki-


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見えない気持ちの答え合わせ

穏憧




 それは、何の前触れもなく突然起きた出来事だった。
 シズが私の家に遊びにやってきて、さっきまで他愛のない普通の会話をしていたはずだったのに。
 気づいたら、私はシズにキスされていた。
 この上なく目の前にあるシズの顔、抱き寄せられる感覚、そして、唇に今まで味わったこともないような柔らかい感触。
 状況に気がついたとき、私は「んんっ」とか「んむっ」とかわけのわからない声を上げたと思う。するとシズは唇を離してじっと私を見つめてきた。
「アコ……」
 視線と同じくらい、熱が籠もった声音。赤みの差した頬。こんなシズは、初めて見た。
 何か、何か言わなくちゃ。だけど言葉は空回りして、口だけがぱくぱくと間抜けに動く。
 沈黙を破ったのは、シズの方だった。不意に表情をふにゃりと崩して、いつもの笑顔になる。
「へへ、何か暑くなってきちゃったね」
 飲み物貰っていい? とこれまたいつも通りの声で聞いてくる。
「……あ、うん。麦茶でいい?」
「うん。アコんちの麦茶、おいしいよなぁ」
 ぼんやりとしたまま、私は麦茶を持ってくるために立ち上がる。
 さっきのは何だったのだろう。もしかして私は、白昼夢でも見てしまったのだろうか。
 そう思ったが、シズのあの柔らかな感触が、しっかりと唇に残っていた。
 結局その日は、それ以上変わったことは起こらなかった。


 それから、少しおかしなことになった。シズのスキンシップが、激しくなったのだ。
「おっはよー、アコ! 今日も麻雀頑張ろうな!」
 朝、教室に顔を出すなり挨拶代わりの抱きつき。これはまあ以前からのスキンシップの範囲内だとして。
「よう、アコ! 何の話してるの?」
 クラスメイトと休み時間話していると、後ろから私に抱きつきながら会話に混ざってくる。話している間も、ずっとそのまま。「憧と穏乃って、ほんと仲良しだよね」なんて、クラスメイトには苦笑された。
「アコ! 部室一緒に行こっか!」
 放課後。まあ一緒に部室に行くのは毎回なのだけれど、それに手繋ぎがプラスされた。
 廊下を歩いていると、さりげなくシズの方から手を握ってきたきたのだ。さすがにこれには驚いた。
「えっ、ちょっ、どうしたのいきなり」
「いやぁ、何となく。ダメだった?」
 照れくさそうな笑顔でそう言われると、こっちまで恥ずかしくなる。「別にいいけど……」なんてぶっきらぼうに返した。
 こんなことが繰り返されるので、実質シズは私に一日中密着している状態だった。
「ねえ憧ちゃん。シズちゃんと何かあったの?」
 見かねた玄にまでそんなことを言われる始末だ。周りの目から見ても、シズのスキンシップが過剰になっているのがわかるのだろう。
「さ、さあ。暑いから落ち着かないんじゃない?」
 訳のわからない推測を言ったものの、心当たりならあった。
 あの日、何の前触れもなくしてきたキスだ。あれが、シズに何らかの変化をもたらしたのではないか。
 大体シズは何のつもりであんなことをしてきたのだろう。スキンシップが増えただけで、シズが私に接する態度は何ら変わらないように思える。
 ……わからない。シズの気持ちがわからなくなるなんて、初めてのことだ。
 だから、怖かった。
 シズに触れられる度、どうしようもなく私の鼓動は疼いてしまう。増えたスキンシップ、そして、あの日のキス。
 もしかしたら、と思う自分がいる。いや、はっきりと私は期待してしまっているのかもしれない。
 だけどシズにとって、全てが何の意味もないことだったとしたら。
 ……怖い。


「今日さ、アコの家に遊びに行ってもいい?」
 ある日の部活帰り。一緒に帰っているとシズがそう言ってきた。
 デジャブを感じながらも、私は二つ返事をしていた。断るべきだっただろうかと思ったが、別にいいかと思い直した。
 スキンシップの頻度は相変わらずだが、特に何の変化もない。私たちの関係は何も変わっていない。
 悶々とするのも疲れていたので、私はもうあまり深く考えるのを諦めていた。
 どうせ、期待したって無駄だ。今までだって、そうだったじゃない。これだけ長くいるのに、シズは私の気持ちに気づかなかった。
 家に着いた私たちは、それぞれ思い思いの形でくつろぎながら話す。私は雑誌を読みながら。シズは麦茶を飲みながら。
「それでさ、ツモった時に力入れすぎて、思わず上がり牌飛ばしちゃってさぁ。恥ずかしかったなぁ、あれ」
「どういう打ち方してんのよ、シズ。普通にしてたら牌なんて飛ぶわけないでしょ」
「いやぁ、それはそうなんだけど……」
 ふと、会話が途切れた。どうしたのだろうと寝転がっていた私が顔を上げると、シズがこちらに近づいてきていた。私の前にくると、しっかりと座り直す。
「あ、あのさ、アコ?」
「何、改まって。麦茶のお代わり?」
「いや、えっと……もう一回、キスしてもいいかな」
 言葉の意味を飲み込むのにしばらくかかった。そのとき私はものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
「……な、何なの、そんな急に……」
「ご、ごめん。よくわかんないんだけど、何かしたくなっちゃって……」
 そわそわと落ち着かない様子のシズ。あのときも、こんな感じだった。
 ダメに決まってる。ただでさえ、私は色々と我慢しているのだ。
 これ以上何かされたら、自分の気持ちを抑えられなくなる。
 頭ではわかっていた。それなのに、私は仰向けになって、シズを迎え入れる準備をしている。それに気づいたのか、シズは私の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと覆い被さってきた。
 目を閉じた瞬間に、あのふわふわした感触がやってきた。瞼の奥で何かが弾けた気がする。全身が震えるようだった。
「……んっ!?」
 不意に開いた口の中に、シズの舌が入ってきた。さすがに驚きを隠せない。
 シズ、一体どこでこんなことを……? そんな思考は、辿々しいシズの舌の動きでかき回されていく。
 ずいぶん経ってから、唇が離れた。二つの唇の間を繋ぐように銀の糸が引く。
「アコ……」
 また、焼けるような視線が注がれる。そのままシズは、私の首筋に口づけてきた。
「ちょっ、シズ!」
 これだけでもびっくりしたのに、何とシズの指が私の服のボタンを外し始めていた。これ以上はいけない。反射的にそう思った。
「シズ、ダメ!」
 自分で思ったより大きな声が出た。びくっとシズの動きが止まる。
「……あっ。ご、ごめんアコ……」
「……謝んないでよ」
 何だか泣きたくなってきた。シズはあたふたとしている。まるで、さっき起きたことが不慮の事故だったとでもいうように。
 堪らない。これ以上は、もうたくさんだ。
「……ねえ、シズ。何で急にこんなことするわけ? シズは私をどうしたいの? ……私たちって、何なの?」
 ずっと今まで聞きたかったことだった。あのときの、そして今のキスの意味。
 私たちって、友達? そうじゃなかったら何?
 私にとってのシズは、ずっと前からそうじゃなかった。
「シズ……好き……」
 ほとんど消えてしまいそうな声だった。それでも、それが今までひた隠してきた私の想いだ。
 これでシズにとってさっきのことが間違いだったとしたら、私はとんだ間抜けだけど。
 もうどうでもよかった。少なくとも、気持ちは伝えられたから。
「……アコ」
 シズが私を呼んだ。かと思うと、そのまま力強く抱きしめられた。えっ? こぼれかけた涙が止まる。
「ごめん、ようやく気づいた。私もアコのこと、好きだったみたい」
「えっ……」
「前にキスしちゃった時から、ずっとアコのことばっかり考えてたんだ。ようやく、その理由がわかった」
 好きだよ、アコ。少し赤くなって、それでも満面の笑みで、シズは言った。
 じゃあシズは、今まで自分の気持ちに気づかないで、あんなことをやっていたというのだろうか。
 思わず吹き出してしまった。そりゃあシズが考えていることがわからないはずだ。本人にさえ、わかっていなかったのだから。
「な、なになに? 私、何か変なこと言った?」
「い、いや、すっごいシズらしいなぁって思って」
 そういうちょっと抜けてるトコが、まあ好きだったりもするんだけど。
「よ、よくわかんないけどまずかったかな? そ、そりゃあいきなりキスとかしちゃったもんな。ご、ごめん……」
 状況をよくわかっていないシズは見るからに慌てている。また笑いそうになるのを何とか堪えた。
「もういいってば。チャラにしてあげる。……その代わり、大切にしてよね」
「あ、もちろん!」
「あと、そろそろ起きない?」
「そ、そうだね!」
 折り重なったような体勢から起きあがる。それから顔を見合わせて、今度は二人で笑った。
 そういえば、と私は口を開く。
「シズ、さっきのってどこで覚えたわけ? もしかして前に誰かと付き合ってた?」
「へ? いやいやいや! 前に見た映画を参考にしただけだよ!」
 映画! あの一連の流れはそういうことだったのか。それを実行に移すとは、本当にシズには驚かされてばかりだ。
 ならば次は、こちらから驚かせてやろう。
「じゃ、さっきの続きしよっか」
「ええっ!? つ、続きって……キス以上ってこと……?」
「ち、ちちち、違うってば! 飛ばしすぎでしょ、さすがにそれは!」
「だ、だよね……ははは」
 ……結局それ以上のことまでしてしまったのは、また別の話だ。



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