咲-saki-


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猫の日にシロが猫っぽくなった話。

シロ塞




 二月二十二日。日本国民的に猫の日と呼ばれるこの日に、それは起きた。更にその時私たちは二年生で、二という数字ばかり並んでいたことから、もしかしたら必然的なことだったのかもしれない。
 何の必然性か、と言われたら、まあよくわからないけれど。
「重い……ダルい……」
「ちょっとシロ、休憩しないでよ。早くこれ運ばないと部室いけないんだからさ」
 放課後。部室に向かっていた私とシロは廊下で教材を運んでいた先生にまんまと捕まり、教材室まで運ぶように言われたのだった。
「もう無理、歩けない」
「こら、まだ廊下の半分も歩いてないでしょうが。あと少しだから、頑張りなよ」
 そうこうしているうちに教材室にたどり着いた。
「うわぁ……」
 扉を開けて、私は思わずそんな声を漏らした。部屋に敷き詰められた棚という棚に、あらゆるものが乱雑に置かれている。ずいぶん前から掃除などしていないのか、埃の匂いが部屋中に立ちこめていた。
「どこに置けばいいわけ、これ……」
「いいんじゃない、適当で」
 シロは部屋の中に入り、段ボールが置けそうな棚の隙間を探し始める。そして丁度いい場所があったのか、持ち上げた段ボールをどすんと置いた。それがよくなかった。
 衝撃で棚が揺れて、上に乗っていた物が次々とシロめがけて落ちてきたのだ。
「シロ!」
 舞った埃を払いながらシロの元に駆け寄った。落ちてきた物が散らばる床の上に、彼女は倒れていた。
「シロ、大丈夫?」
 慌てて彼女を助け起こす。もしや脳しんとうでも起こしたのではと不安がよぎったが、彼女はすぐに目を開けた。
「痛い……」
「起きれる? 目眩とかしない?」
「平気。たんこぶが出来ただけ」
 そう言って彼女はゆっくりと立ち上がった。ほっと息をつく。どうやら大丈夫のようだ。
 しかし結果的には、シロはあまり大丈夫ではなかったのである。


 とりあえず、私は困惑していた。一体何が起こっているのだろうと思ったが、まずは状況を整理することにした。
 教材室を後にした私とシロは、部室にやってきた。胡桃はまだ来ていないようだったので、待つことにしてひとまずソファに腰を下ろしたのだった。
 すると、何とシロが私の膝に頭を預けて、ソファに寝転び始めたのだ。
 何の前触れもない突然の行動。戸惑う私をよそに彼女は体を丸めて心から安らいだような顔をしていた。
 そして、今に至る。色々と疑問の余地があるが、ひとまずシロ本人に尋ねてみることにした。
「えっと、シロ?」
「んー、何?」
「な、何してるのかなぁなんて……」
「見ての通り、寝てるよ」
 見りゃわかるわそんなの! 問題は場所なんだっての!
 叫び出しそうになるのを堪えて、深呼吸。落ち着いてシロを見てみると、体を丸めたポーズがどことなく猫っぽいことに気づいた。図々しいところといい、うちで飼っている猫とそっくりだ。
 何となく思い立って、そっとシロの髪を撫でてみる。
「んー……」
 するとシロが、喉を鳴らしたような声を出した。今度は顎を指先でくりくりと撫でてやる。さっきより喉を鳴らしたのに近い声がした。完全に猫だ。
「シロ、これ見てみて」
 試しに少し離したところで左手の人差し指をしなるように上下に動かしてみた。
「んん……」
 それを見るなり、シロは丸めた手でじゃれつき始める。どう考えても、猫だ。
 一瞬胸が高鳴りかけて、首を振るう。いや、今のは猫好きの血が騒いだからで決してシロにときめいたわけじゃない。断じて違う。誰も聞いていないのに、心の中で変ないいわけをしてしまう。ええい、落ち着け私。
 というかさっきからシロはどこかおかしい。普段もまあそれっぽいけど、どうして突然こんなに猫化が進んでしまったのだろう。
「あっ」
 そこで思い当たる節があった。さっきの教材室での出来事だ。シロは棚から落ちてきたものに頭をぶつけたらしかった。もしやそれが原因なのだろうか。色々馬鹿げてるけど、それくらいしか変わったことなどなかったし……。
「あのさ、シロ……」
 口を開こうとした瞬間、シロに急にさっきじゃれついていた左手を掴まれた。そのまま、人差し指を口に含まれてしまう。
「ちょっ、シロ何して……!」
「ん……何かこうしたくなって」
 そのまま軽く甘噛みされて、変な感覚がこみ上げてきた。こ、これはさすがにまずい。そうは思っても、何故か私は手をふりほどけないでいる。
「シ、シロ……やめてってば」
 言った矢先、指先がちゅっと軽く音を立てて吸われる。変な声が出そうになった。
「は、はいはい、もう終わり! 終了!」
 慌ててシロから手を離す。あれ以上続けられたら、どうなるかわかったものじゃない。
「ダメ……?」
 シロが名残惜しそうに上目遣いで私を見た。鼓動が強く打ちつける。猫好きの血が騒いだわけではないのは、自分でもわかっていた。
 気まずい沈黙が続く。いたたまれなくなって私はシロから目を逸らした。
 一体この空気は何なのだろう。胡桃、お願いだから早く来て。まだ来ない胡桃にテレパシーで助けを求める。もちろん返答はない。
 ふと、シロが身を起こして私の隣に座った。かと思うと、次の瞬間私はソファに押し倒されていた。シロの体が、私の体に覆い被さってくる。
 もう何が何やらさっぱりわからなくなっていた。一体どうしたらこういう状況になるのだ。
 気がつけばシロの顔が目前に迫っていた。えっ、嘘。この流れってひょっとしてキス……? いや、何で?
 心臓がもう体に収まりきらないほど騒いでいる。もう視界にはシロしか映らない。いよいよシロの唇が迫ってきて目を閉じようとしたら、その照準が横にずれた。
 頬に柔らかい感触。おそらく、シロの唇だ。ほっとしたような残念なような気持ちになった刹那、次は少し湿った生ぬるいものを感じた。どう考えても、舌だった。
「ひゃっ、シロ!?」
 驚く私の頬を、シロは更に舐め上げていく。
「塞……」
 そして吐息混じりに私の名前を呼ぶ。それで、私を制御していたブレーキが一気に壊れた気がした。
「シ、シロ……あのね、私……」
 今まで積みに積み重ねてきた想い。もう洗いざらいぶちまけてしまえ。私はほとんどヤケクソだった。
「シロのこと……す、す……」
「ごめん、遅くなった! 担任につかまっちゃって」
 その時、部室の扉が開いて胡桃が現れた。その場で彼女は目を丸くする。
「あれ、何でシロが床で寝てんの?」
「さ、さあ……」
 ドアノブが回る音が聞こえた瞬間、私は驚異的な反射神経でとっさにシロを突き飛ばしていた。シロはソファから投げ出されて、そのまま床へダイブ。それが、今の状況だ。
「もしもーし、シロぉ? 起きてる?」
 仰向けになっているシロを、胡桃がぺちぺちと叩く。彼女はすぐに目を開いた。
「いつつ……頭痛い」
「こんなところで寝てるからでしょ。ほら、さっさと立つ!」
「あれ、私どうしたんだっけ?」
 周りを見渡して、シロがそう言った。
 あれ、これってもしかして。イヤな予感がした。
「……シロ、さっきのこと覚えてないの?」
「へ? 教材室に行ったとこまではわかるんだけど……いつの間に部室に来たんだっけ」
「何言ってんのシロ? 寝すぎて頭変になった?」
 胡桃が怪訝そうな顔をしている。
 どうやら、教材室で頭を打ってからの記憶がことごとく無くなってしまったらしい。床に吹っ飛んだとき、また頭をぶつけたようだ。
「何だそれ……」
 その場にへたりこむ私。じゃあさっきのは、一体何だったのだろう。もう無茶苦茶すぎる。
 今目の前にいるシロは、間違いなくいつものシロだった。まあ、戻ったのはいいとして。
 私の一世一代の告白も、無に返してしまったわけか。さっきまでの自分が馬鹿みたいで、乾いた笑いがこぼれる。
「あれ、でもさっき塞と……」
 そう言ってこちらを向いたシロの顔が、不意に真っ赤になった。
「えっ、シロ、どうし……」
 尋ねようとして、自分で気づいた。そして、シロと同じように私の顔も赤くなる。
 先ほどのことを、きっとシロは思い出しただろうか。じゃあもしかして、私が言いかけたことも……?
「何、二人とも風邪?」
 赤い顔をした私たちに挟まれて、胡桃は訳がわからないという風に首を傾げていた。



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