咲-saki-


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阿知賀女子詰め合わせ

穏憧・晴灼・松実姉妹




宿題はあとまわしで
穏憧


「ねえ、シズ?」
「ん? どうしたの、アコ」
「……あのさ、そろそろ離れてもらってもいいかな?」
 横から私の腰に抱きついているシズに言う。「えー、何で?」と彼女は不満そうな顔を見せた。
「何でって、あんた今私の家にいる理由、わかってる?」
「えっと、遊びにきたんだっけ」
「ちっがーう! 宿題やりにきたんでしょ、宿題!」
 私はテーブルの上に広げられた教科書とノートを指さす。今日学校で出た宿題のやり方がわからないとシズが言うので、私の家で一緒に片づけることになったのだ。
 それなのにも関わらず、開始十分でもうこの有様だった。シズのノートが真っ白なのを見て、私はため息をついた。
「だってさぁ、さっぱり訳わかんないんだもん」
「まったく。やり方教えてあげるから、さっさと立つ」
「はぁい」
 腰から腕が解かれた。かと思いきや、立ち上がったシズは、今度は背中から私を抱きしめてくる。
「ちょ、ちょっとシズ?」
「ごめん、もうちょっとだけこうしてたいんだけど……駄目?」
 ほんのりと甘えるような声でそう言われて、私は大分ぐらついた。何とか持ちこたえようとはしたが、結局私は頷いてしまう。
「す、少しの間だけだからね」
「わーい。ありがと、アコ」
「ていうか、あんたいつも所構わず私にくっついてくるじゃん。まだ足りないわけ?」
 照れ隠しでそんなことを言ってみたが、事実ではある。
 教室だろうが部室だろうが、人目があってもシズは私にくっつきたがるのだ。手繋ぎや腕組み、今みたいな抱きつきも当たり前の、スキンシップと言うにはいささか過剰すぎるくらいの勢いだった。
「うん、足りない。ずっとずっと、アコにくっついていたいくらい」
「はぁ? ど、どういう意味、それ」
 するとシズは「うーん」と唸って考え込む仕草をする。
「……アコが好きだからかな」
 出てきた答えは、単純かつド直球極まりないものだった。一気に顔が熱くなる。
「あはは。アコ、耳まで真っ赤だよ。ひょっとして照れてる?」
「違っ! あんたが変なこと、いきなり言うからでしょうが!」
「アコ、可愛い」
 不意に、首筋に湿った柔らかい感触が当たる。びっくりして思わず変な声が出てしまう。……どう考えても、それはシズの唇だった。
「シ、シ、シズ! あんた何やって……」
 言い切る前に、私は畳の上に押し倒されていた。馬乗りの体勢で、シズは私をじっと見つめている。
「あ、あのさ、アコ。……キスしてもいい?」
 微かに上擦った声。シズも緊張しているのだ、とわかると、強ばった気持ちも少し和らいだ。
「……いいけど。終わったら、宿題だからね?」
「……うん。ありがと」
 少しだけ間を置いて。シズがゆっくり顔を下ろしてくる。目を閉じるのと同時に、唇が重なったのがわかった。
 相変わらず、シズの唇はふわふわしている。こういうことをするのは初めてではないけれど、回数を重ねてもこういうことは慣れないものだ。心臓がバクバクと騒いでいる。
 そろそろかな、と思って口を開くと、案の定舌が入ってきた。普段の彼女からは想像できないほど、その動きは繊細で優しい。繰り返す度に、シズはどんどんキスが上手くなっていくみたいだった。
 舌が舌に絡まってきたので、私は丁寧にそれに応じた。この瞬間から頭がぼんやりしてきて、全身が浮かび上がってしまいそうな感覚になる。とろけるような、とはこういうことをいうのだろう。
 息つく暇を惜しむほど何度も唇を合わせて、ようやく私たちは離れた。
「アコ……」
 シズが私を呼ぶ。濡れたように光る瞳が、ぼんやりと私の姿を映し込んでいた。
 もう何もかもどうでもよくなって、私は腕を伸ばしてもう一度シズを引き寄せた。
「……宿題、やらないの?」
「……あとで」
 今度は私から、シズを迎え入れる。
 結局この日は、宿題を再開することはなかった。


東京デート
晴灼


 表通りはどこを見ても人、人、人で混雑していた。さすが東京だ、と思う。インターハイ会場の近くであるからか、私と同じ制服姿の子もちょくちょく目立つ。
「どうしたの灼、きょろきょろして」
 隣にいた晴ちゃんが言う。私たちはみんなの食材やお菓子などの買い出しに来ているのだ。
「ううん、別に。人が多いなぁって思って」
「そうだね。さすがに奈良とは違うねぇ」
 迷子にならないでね、といたずらっぽく言う晴ちゃんに、ならないよ、と私はぶっきらぼうに返す。そんなに子供じゃない。
「あ、そうだ」
 不意に晴ちゃんが声を上げたと思うと、私の手を握ってきた。突然の行動だったので、思わず私は変な声を出してしまう。
「わぁ! ちょっ、晴ちゃん?」
「これで迷子にならないでしょ?」
「わ、私、もう子供じゃな……」
「いいからいいから」
 晴ちゃんは私の手を引いて先に歩いていく。仕方なく私もそれに続いた。
 そういえば、こうやって晴ちゃんと手を繋いで歩くのは初めてだった。意外と小さくて華奢な手の感触。背が高くて格好いいけれど、やっぱり私とおんなじ女の人なのだ。
 それがわかって何故だかドキドキした。
「ん、どうしたの灼。うつむいたりして」
「え、いや、別に……」
「恥ずかしいなら、手、繋ぐのやめる?」
「い、いや!」
 少し大きな声が出て、自分でもびっくりした。
「あ、えっと……まだ繋いでてほしい……かも」
 今度は対照的に萎んだような声。顔が熱い。私、何だかバカみたいだ。
「そっか、よかった。……私も、繋いでいたかったからさ」
 そう言って晴ちゃんは照れくさそうに笑った。不意打ちの言葉に、なおさら顔の熱が上昇したような気がした。本当に晴ちゃんはズルい人だ。
「ねえ、灼。買い出しは後回しにして、少し街を見て回らない?」
「えっ、でも……」
「こういう機会もなかなかないし、それに……」
 そこで晴ちゃんは私に顔を近づけて声を落とした。
「地元だったら知り合いも多いからさ、なかなか出来ないでしょ。こういう、おおっぴらなデートも」
 デート。聞き慣れない響きに、少しだけ落ち着かなくなる。
 私と晴ちゃんは東京に来る少し前から、付き合っているというのか、そういう関係だった。
 一応生徒と先生という建前もあるから、まだ麻雀部のみんなにも内緒にしてある。もちろん周りの人にもバレてしまったら大変なので、二人で出掛けることもほとんど出来なかったのだ。それを気にしていなかったと言ったら、嘘になる。
 なるほど、とようやく合点がいった。晴ちゃんが買い出しに誘ってきたのは、そんな私を気遣ってのことだったのだ。
「……うん。そうだね」
 繋いだ手を強く握りしめる。そうするとまたほんの少しだけ、晴ちゃんと近くなれた気がした。
「ありがと、晴ちゃん」
「こちらこそ。灼と一緒にいられて、私は幸せ者だね」
 晴ちゃんは無邪気な笑顔を浮かべる。鼓動が一つ、強く高鳴った。
 格好よくて、優しくて、そして時々子供っぽくて可愛くて。この人は何度、私を恋に落とすのだろう。
「さて、どこ行こうか?」
「と、東京タワーとか、いいと思……」
「おお、いいねぇ! じゃあ行ってみようか!」
 晴ちゃんと手を繋いで、一緒に歩いていく。それだけで私の胸の中を、温かい光のようなものが満たしていくのがわかる。
 ねえ、晴ちゃん。あなたの隣にいられる私も、きっと幸せ者みたいだね。
 そんなちょっと気障な言葉を、思い浮かべてみる。


お願い
松実姉妹


 お姉ちゃんを汚している。そんな自覚はあった。
 夜が更けた頃合いを見計らって、私はお姉ちゃんの部屋のドアをノックする。
「……玄、ちゃん?」
 少し遅れてから、戸惑いがちな声が中から聞こえた。答えずに、私は扉をそっと開けた。
 お姉ちゃんはベッドに腰掛けてこちらを見つめている。丁度眠るところだったのか。……それとも、私を待っていたのか。沸いて出た都合のいい妄想を振り払うように、私は首を振るった。
「お姉ちゃん」
「玄ちゃん、どうし……」
 最後まで聞かずに、お姉ちゃんをベッドの上に押し倒す。短い悲鳴を上げて、彼女はいとも簡単に私に組み敷かれた。
「玄ちゃん……」
 覆い被さった私を、震えた瞳が見上げている。怯えているのだろうか。そんなの、もう今更すぎるのに。
 そのままお姉ちゃんの唇を奪った。寒がりのくせに、そこはぼんやりとした熱を宿している。触れているだけで、頭の中まで溶けてしまいそうだ。
 舌を差し入れても、お姉ちゃんは体を震わせるだけで何の抵抗もしてこない。だから私も尚更歯止めがきかなくなる。
 彼女の着ているパジャマに手をかけた。一瞬ためらって、私は口を開く。
「お姉ちゃん、いい?」
 意味のない問いかけだった。どっちみちここでやめる気がないのは自分でもわかっている。
「こんなこと、やめよう? ねえ、お願い……玄ちゃん」
 消え去りそうな声で、お姉ちゃんは言う。それが彼女の見せる唯一の抵抗だった。
「……ごめんね」
 私は手を止めない。お姉ちゃんも、もう何も言わなかった。
 やがてむき出しになった彼女の素肌に、私も服を脱いで自分の体を擦り合わせた。近すぎる体温と、どこまでも沈んでいきそうなほどの柔らかさに、目眩がする。
 ――こんなこと、もうやめよう?
 先ほどのお姉ちゃんの言葉が脳裏によぎった。
 それはどういう意味だろう。姉妹だから? それとも女同士だから?
 私はもうずっと前からお姉ちゃんに邪な感情を抱いていた。抑え込めば抑え込むほどその気持ちは膨張して、ある日突然爆発した。
 そして私は、初めてお姉ちゃんに手を出してしまった。
 全てが終わってから、私はお姉ちゃんに取り返しのつかない傷を負わせたことに気づいた。
 お姉ちゃんを汚している。未だに、私は。
 それでも、求めずにはいられない。
「……玄ちゃん?」
 名前を呼ばれて、私ははっと体を起こす。お姉ちゃんがびっくりしたように私を見つめていた。
「泣いてるの?」
「えっ……」
 その瞬間、自分の頬を涙が伝っていくのがわかった。理由なんて自分でもわからない。ただ、悲しかった。訳の分からない悲しみが、全身に浸透していくようだった。
「泣かないで、玄ちゃん」
 お姉ちゃんの手が、そっと涙を拭ってくれた。その手つきがあまりにも優しすぎて、もう嗚咽を堪えることが出来なかった。
「ごめん……なさい。ごめんなさい」
 ひたすらに泣きじゃくる。子供のように。
 駄目。そんなことしたら駄目だよ、お姉ちゃん。
 私を拒絶して。「あなたなんて大嫌い」なんて突き放して。バラバラになるくらい私を傷つけて。
 ねえ、お願い。優しくなんかしたりしないで。だってそんなことされたら……また甘えてしまう。
 でもお姉ちゃんは、私を包み込むように抱きしめてくれた。ああ、いつものお姉ちゃんだ、と思う。
 私にはこんな風にされる資格なんてない。でも今はただ、もう少しだけこの温もりの中にいたかった。
「お姉ちゃん……好き。大好き」
 心の奥の奥に、ずっとしまいこんでいた想い。
 それを初めて口にして、私はゆっくりと目を閉じた。



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