悪魔のリドル


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Night and Day

すみまひ、すみしん




Day

 今朝から優れなかった体調は、次第に悪化しているみたいだった。
 小さくため息をついて、英純恋子はうなだれる。下腹部のずきずきとした痛みに加え、貧血状態からの軽い目眩もあった。生理が始まって二日目。ただでさえ体が弱い純恋子にとっては月に一度の憂鬱な日だった。
 先ほど飲んだ鎮痛剤もなかなか効いてこない。パソコンの画面内で展開されている授業も、まともに聞いていられなかった。机についているだけでもう精一杯だ。
「あ、あの……」
 もういっそ突っ伏してしまおうかと思っていた時だった。囁くような声を出して、窓際の席の番場真昼がおずおずと手を挙げた。
 珍しいな、と思っていると、彼女の視線が純恋子の方を向いた。
「……英さんが……具合、悪そうで……」
 驚いた。席も結構離れているというのに、真昼は純恋子の異変に気づいていたらしい。
「あっ、ほんとに顔色が悪いな。英、大丈夫か? おい、誰か保健室に……」
 担任教師の溝呂木がそう言うと、また真昼が控えめに手を挙げる。
「……私が、連れていくます……」
「ほ、ほんとか。じゃあ、番場。頼む」
 立ち上がった彼女は純恋子に近づいてきて、やや遠慮がちに声を掛けてきた。
「……英さん、立てますか……?」
「え、ええ……ありがとう、番場さん」
 戸惑いながら、純恋子は差し出された手を掴んだ。ひんやりとしている手のひらは、靄のかかった頭を少しだけ晴らしてくれた。


 保健室には誰もいなかった。養護の教諭が来たら事情を説明することにして、純恋子は空いているベッドを使わせてもらうことにした。やや消毒液の匂いがするが、横になると大分楽になったように思える。
「……英さん。その、平気……?」
 ベッドの横に立つ真昼が、心配そうな顔をしてこちらを見ていた。純恋子は微笑む。
「ええ。安静にしていたらすぐに良くなりますわ。番場さんのおかげですわね」
「わ、わたすは別に……」
 照れくさそうにしていた真昼は、その場から一歩下がってきびすを返す。
「……じゃあ、もう教室に戻ります」
「あっ、番場さん!」
 思わず呼び止めてしまった。怪訝そうに振り返った彼女に、純恋子は尋ねてみる。
「あの、どうしてわたくしのことを……?」
 誰も気づかない中でいち早く純恋子の不調を察知したり、わざわざ立候補してまで保健室に送り届けてくれたり。いつもの彼女は目立つことを極力避けているから、どうしてそこまでしてくれたのか、不思議だったのだ。
「えと……英さんにはいつも、よくしてもらってるから。いつか、助けてもらったし……私なんかに、話しかけてくれて」
 真昼は困ったように眉を八の字にさせて、しどろもどろに言う。
「……私なんか、いつもいないようなものだったので……すごく嬉しかった、です……」
 そうだったのか、と気づく。純恋子にとっては何でもないことだったが、真昼には大きな意味があったのだ。それで彼女が喜んでくれたのなら、これ以上のことはない。
 だけど。
「番場さん、ちょっとこっちへ来て」
 体を起こして手招きする。よくわからない様子で近づいてきた彼女の頬に、そっと手のひらで触れた。
「番場さんためになったのなら、わたくしも嬉しいですわ。だけどあなたは、『私なんか』じゃない」
 まっすぐに彼女を見つめて、それから柔らかく笑顔を作った。
「わたくしにとってあなたは、大切な人ですわ。ですから、あまりご自分を虐げないで?」
 言った矢先に、真昼の顔がみるみる赤くなっていく。初めて見る彼女のそんな反応に、純恋子は鼓動が一つ、高鳴るのを感じた。
「……あの、私も……」
 ふと、真昼が頬にある純恋子の手に、自分の手を重ねてきた。
「私にとっても、英さんは……大切な人です」
 辿々しく紡がれていく、きらきら光る太陽のような言葉たち。
 今度は純恋子が、顔を赤くする番だった。



 
Night

 辺りはしんと静まり返っていて、穏やかな夜だった。
 パジャマの上にナイトガウンという格好の純恋子は、自動ドアを潜って外に出た。すると、少し離れた所に和服を纏った見知った背中を見つける。
「番場さん。ここにいたんですのね」
 振り向いた視線は、鋭く睨むように純恋子を射貫く。
「……英か。何か用かよ」
 昼間の彼女とはやや異なる凶暴な雰囲気。純恋子にとっては最早お馴染みだ。
「ああ、今は真夜さんでしたわね。ごきげんよう」
「うるせぇ」
 ちょっとした挨拶に、ぶっきらぼうな一言が返ってきた。
 昼は真昼、夜は真夜と、彼女は時間帯によって人格が入れ替わるという特殊体質を持っている。同じ容姿なのに、昼と夜とではまるで感じが異なるというのは不思議なものだと、最初純恋子は感心したものだ。
「寮の部屋にいなかったから、探しましたわ。どうしてこんなところに?」
「気分転換だよ。あんな豚小屋みてぇな部屋にずっといたら息が詰まっちまう」
「そうだったんですか。……では、わたくしもご一緒に」
 真夜の隣に立つ。「好きにしろ」と彼女も別段嫌ではなさそうな声で言った。快くそうすることにする。
「あら。真夜さん、ご覧になって。綺麗ですわね」
 頭上を仰いで、純恋子は声を上げた。地上の明かりのせいで薄くではあるが、夜空に星が出ていた。学園の敷地内ということもあって、遮るものもなくその全景を拝むことができる。
「あっ、あそこに星座が出来ているの、わかります? 確か名前があったはずですわ」
「何だよ、うるせぇな。隣でぺちゃくちゃ喚くな」
「そう仰らないで。少しわたくしに付き合っていただけません?」
「いやだって言っても勝手に喋るんだろうが。仕方ねぇな」
 渋々といった様子で、真夜も空を見上げた。何だかんだ言ってしっかり合わせてくれる彼女に、純恋子は微笑ましくなる。
 それから昔読んだ本に載っていた星座の名前を、一つ一つ挙げていく。真夜はむっつりと黙り込んでいたが、話はしっかり聞いてくれているようだった。
「あっ」
 そして何個目かの星座の説明をしていたとき、視界の端できらりと流れるように何かが光った。
「流れ星ですね」
「そうだな」
「そういえば真夜さん、知ってます? 流れ星が消える前に願い事を三つ唱えられると……」
「それくらい知ってるっつの。バカにしてんじゃねぇよ」
 イチオシの情報だったのだが、ぴしゃりと遮られてしまった。
 気を取り直して、純恋子は尋ねてみる。
「真夜さんは、もしするならどんな願い事をしますの?」
 すると真夜が、おかしなことを聞いた、という風に口角を持ち上げてみせる。
「そんなまどろっこしいことしねえよ。オレは欲しい物は自分で手に入れるし、殺したい奴はこの手で殺す。星に願う必要なんかねぇだろうが」
「うふふ、そうですわね。それが一番手っとり早いですわ」
 不意に、冷たさをはらんだ風が吹き付けてきた。あまりここに長居すると、風邪を引いてしまいそうだ。
「真夜さん、そろそろお部屋に戻りましょう。冷えてきましたわ」
 くるりと寮の方を振り返り、純恋子は歩き出そうとする。その肩を、真夜が掴んだ。
「おい。お前最近、真昼とよろしくやってるみたいじゃねぇか」
「ええ。彼女とは仲良くさせていただいてますわ。それが何か……」
 真夜の方を向いた瞬間、唇を塞がれた。
 遠慮がなく、乱暴で、激しいキス。純恋子は動じることなく彼女の背中に腕を回して、それを受け入れた。
「……言ったろ。オレは欲しい物は、自分で手に入れるって」
 唇を引き剥がして、真夜が言う。ギラギラと野獣のように光る瞳が、純恋子を見つめていた。
「勘違いするなよ。お前は真昼のものじゃない。オレのものだ。わかってんのか?」
 そう言って不敵な笑みを浮かべる彼女に、純恋子はふっと小さく笑い返した。
「……ええ。わたくしは番場さんのもの、ですわ」
「……それはどっちの、って意味だ?」
 不可解そうに眉を顰める真夜。そんな彼女に、今度は自分から顔を近づけていった。
「さあ――どちらかしらね?」
 再び、唇と唇が重なる。
 問いの答えは二人の舌の上で転がされて、やがて曖昧なまま溶けていくのだった。



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