悪魔のリドル


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Cold Sunday morning & night





Cold Sunday morning
理事鳰

「げっ……もうこんな時間っスか」
 目を覚ましてサイドテーブルに置かれた時計に目をやると、既に昼に近い時刻だった。
「んんー……」
 鳰はそっとベッドの上で上半身を起こして軽く伸びをする。今日は休日なので慌てる必要はなかった。体は若干気だるかったが気分は晴れやかで、概ね快調のようだ。
 隣に目をやれば、理事長の目一がこちら側を向いて静かに寝息を立てていた。いつもの鋭い雰囲気はなく、あどけなささえ感じられる幼い寝顔だった。
「……おはようっス、目一さん」
 小さくそう囁き掛けてから、ベッドを下りようとする。
「およっ?」
 すると、腰にしゅるりと腕が巻き付いてきた。体を寝そべらせたまま、目一が横から鳰に抱きついてきたのである。昨日は色々あったあとすぐに眠ってしまったので、鳰も彼女も一糸纏わぬ姿だった。
「り、理事長? 起きてるんスか?」
「……鳰、どこへ行くの」
「いやぁ、せっかくなんで朝ご飯でもつくろうかなぁって……」
「ダメ。まだ寝ていなさい。あなたがいないと、寒くて凍えてしまうわ」
「わっ、ちょっと……!」
 そのまま引っ張られてベッドの中に引きずりこまれた。バランスを崩して倒れ込んだ鳰に、すかさず目一は口づけをしようと顔を近づけてくる。彼女の剥き出しの肩を押し返して、必死に抵抗する。
「り、理事長、ストップ! ストップっス! それは歯を磨いてからで!」
「あら、私は平気だけど」
「ウチが平気じゃないっス! ほらもう、離してくださいよぉ」
「……仕方ないわね」
 渋々といった様子で腕を解いてくれる。鳰はもう捕まらないように素早くベッドから起き上がった。
「じゃあ、ご飯作って待ってるっスよ」
「んー……、わかったわ……」
 気の抜けたような返事をして、シーツの中へ潜っていく。低血圧の彼女の朝は、大体こんな感じだった。まるで子供のようだが、こんな姿を見せてくれるのはおそらく自分だけなのだろう。そう考えると、思わずにやけてきてしまう。
「……ほんと、可愛い人っスね」
 そう密かに呟いてから、小さくくしゃみをする鳰。確かに今日は冷えるようだ。部屋にストックしてある下着と、ニットワンピースを頭から被って洗面所へ向かう。
 顔を洗い終えてから、ちょっとした調理スペースに立つ。目一は料理をすることが滅多にないから、ここを使うのはもっぱら鳰だけだった。
 溶いた卵に牛乳、砂糖、バニラエッセンス等を混ぜ合わせ、そこに細かく切ったパンを浸す。それから熱したフライパンの上でパンをじっくりと焼いていく。
 特製のフレンチトーストだった。一度目一に美味しいと褒められてから、時たまこうして作るようになった。料理はからきしダメな鳰だが、これだけは手際よく作ることができる。
「いい香りね」
 香ばしい匂いが立ちこめてきた頃、再び腰に腕が回された。背中に柔らかな感触と、しなやかな体温が密着する。
「……もう。理事長、またっスか」
 小さく笑って、鳰は火を止めた。きっと完成するタイミングを、彼女はしっかり計っていたのだろう。
「あら、何か問題があるの? 歯もちゃんと磨いたわ」
「……ないっス。強いて言えば、ちゃんと温かいうちに食べてくださいね」
「わかってるわ。私の大好物だもの」
 そう言って目一は鳰の顎をそっと指先で持ち上げ、唇を重ねてきた。
 今日は寒い外などには出掛けず、二人だけで一日中過ごすというのはどうだろう。
 唇が離れたらそう提案してみようと、鳰は思うのだった。



Cold Sunday night
乙しえ

 寒くなってくると、人というものは誰かと寄り添いたがるものなのだろうか、としえなは思うことがある。
 休日の夜だった。街中ですれ違う男女の連れ合いは、大抵お互いの手を取り合って、楽しそうに歩いていく。どこかのスピーカーから流れている聖なる夜についての歌も、そういったムードに一役買っているのかもしれない。ぼんやりと灯っている街灯もそうだ。
 そういえばもうすぐクリスマスなんだな、としえなは今更気づいた。
「何、どうかしたのぉ? しえな」
 少し後ろを歩いていた乙哉が、何故かにやにやしながら声を掛けてきた。彼女は食料の詰まった紙袋を腕に抱えている。小さなマンションの一室を借りて同棲を始めてから、もう半年ほどが経とうとしていた。
「何だ乙哉、その顔。別に、ボクはどうもしないけど」
「だってほら、さっきから熱々なカップルのことばっかりちらちら見てるじゃん。こんなに愛らしいあたしをほっといて、荷物まで持たせてさぁ」
 あ、そうか、と彼女は思いついたように空いている手の人差し指を立てた。
「クリスマスのいい思い出ないから、羨ましいんでしょ! 図星? ねえ図星?」
「お前な……。月の裏側まで蹴り飛ばされたいのか」
「いやーん、しえなったら暴力的ぃ」
「シリアルキラーに言われたくない!」
 もはや慣れっこになったやり取りをしつつ、しえなは自分の過去を振り返っていた。
 クリスマスなんてものに、有り難みを感じたことは一度もない。息の休まる暇もないいじめの中で学校に居場所はなく、そんな行事を一緒に過ごしてくれる誰かもいてくれるはずがなかった。最初からいい思い出など、できるわけがないのだ。
「……まあ、いいじゃん。過ぎたことなんてさ、どーでも」
 不意に真面目な顔になった乙哉が隣にやってくる。そして左手で、きゅっとしえなの右手を包み込んできた。
「今は私が一緒にいることだし。ね?」
 そう囁いて、にっこりと彼女は微笑む。今までずっと知らなかった、そしてずっと欲していた、その優しい温もり。
 まさかそれを、こいつに教わるなんてな。浮かび上がってきた笑みを、しえなは顔を逸らしてごまかしてしまう。
「……じゃあ今日の料理当番、代わってくれるよな」
「えーっ、それはまた話が別だって。あたし鋏を使う作業しか捗らないからさぁ」
「そんな作業滅多になくないか……」
 一番近しい人と手を繋ぎながら、一緒に歩く。
 今年は初めて、一人じゃないクリスマスを迎えることができそうだった。



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