艦隊これくしょん


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川内那珂詰め

川内那珂




お姉ちゃんに構って

「あー……、暇っ!」
 畳の床に横になっていた川内は、そのままごろごろと駄々をこねる子供のように転がる。
 今日は午前と午後に分かれて演習があったのだが、思いの外それも早く終わって時間が余ってしまったのだった。現在午後四時。夕食の時間まではあと二時間ちょっとほど。やることもまったくなく、先ほどから暇を持て余して寮の自室で寝転がっているのだった。
「早く夜戦したいなぁ。明日の出撃は夜戦あるかなぁ。ねえ、那珂?」
 川内は丁度頭の上の位置にいる那珂を見上げながら声を掛けた。
「んー、そーだねぇ」
 あまり気のない生返事が返ってくる。彼女は座布団の上に姿勢良く座り、小さなちゃぶ台の上に本を開いて熱心に読みふけっていた。何でも「アイドルには豊かな感受性も必要なの!」ということらしく時間が空いているときにはよく本を開いていることが多いのだ。じっと活字を追う横顔はいつもの活発な彼女とは違って物静かな雰囲気がある。じっと見入ってしまいそうになるが、今は他の感情が勝った。
「ねえ那珂ぁ、暇だよぉ」
 腕を伸ばして、那珂のスカートの裾をぐいぐいと引っ張る。
「んもー、川内ちゃん。那珂、今本読んでるんだってば」
 たしなめるようにそう言うだけで、彼女は本から視線を外さない。どうやらこちらの思惑は、まったく伝わっていないみたいだった。
 それならば、直接的な行動に出るほかない。
 川内はのっそりと起き上がる。そしてさりげなく那珂の後ろ側に回り込むと、その背中に勢いよく抱きついた。
「てえい! 隙あり!」
「わあっ!」
 彼女が驚いた一瞬の隙に、腰の上あたりに両腕を回してがっちり固定する。
「何もぉ……、どうしたの川内ちゃん、何かご用事?」
 ようやく那珂は本から目を外してこちらを振り向いてくれる。やや怪訝そうな顔つきではあるが。
「本なんか読んでないでさぁ、構ってよ。そんなのいつでも出来るじゃん。お姉ちゃん命令だよ」
 彼女の背中に額を押し当てて、ぐりぐりと擦りつける。
 ――せっかく、今は二人きりなんだしさ。
 思わず喉元まで飛び出しかかった言葉を、慌てて呑み込んだ。
「……あれ、川内ちゃんもしかして……」
 ふと那珂が僅かに目を見開く。
「……甘えてるの?」
 ぎくり、と体が反応してしまった。途端にこちらを見ている彼女の表情が、意地悪そうに緩んでいく。
「あれ、図星かな?」
「い、いやそういうんじゃなくて何て言うか……」
 まさしく図星を突かれた焦りで上手い言い訳もまったく思い浮かばない。それを見透かしているようで、彼女は可笑しそうに目を細めながらじっと川内のことを見つめていた。
 しばらく頭を巡らせてから完全にこの状況を打破する術がないと気づいて、渋々川内は口を開く。
「……はいはい、そーですよ。せっかく二人きりだったから、那珂に甘えたかったの。悪い?」
 頬を膨らませて開き直る。すると彼女は腰に巻き付いていた腕を解いて、こちらを向いた。
「はい、良く出来ました」
 そして川内の頭に手をやりながら、花が開くように笑顔を咲かせた。彼女の無邪気さと素直さと、愛らしさが全て凝縮したような表情。瞬間何もかも忘れて、ただそれに見惚れてしまう。
「あれ、川内ちゃん。艦隊のアイドルスマイルに、悩殺されちゃったかな?」
「……うん。そういうことでいいよ」
 脱力した川内を、今度は那珂の方から抱きしめてくる。「いい子いい子」なんて言いながら、また頭を撫でてきた。
「じゃあ今から那珂ちゃんが、たっぷり甘えさせてあげるね」
「……はい」
 髪に触れる彼女の指先は心地よく、重なった体温はしっとりと暖かくて落ち着く。姉としての威厳は完全になかったが、今日くらいこうしていたってバチは当たらないだろう。
 彼女に自分の体を無防備に預けて、川内はそのまま目を閉じた。



相合傘で帰りましょう

「あっ……」
 外に出ると、雨が降っていた。灰色の空からさあさあと涼しげな音を鳴らして落ちてくる雫は、それなりの勢いで地面を濡らしている。
「困ったなぁ……」
 那珂は誰に言うでもなく一人呟いた。提督から本部に提出する書簡を出してきてほしいと頼まれたので、鎮守府から街へとやってきて、たった今用事を終え郵便局から出てきたところだった。
 残念ながら傘は持ってきていない。出掛ける前も空は曇っていたが、まあ大丈夫だろうと高を括っていたのが悪かったみたいだ。
「うーん……」
 じっと空を見上げる。しばらくは止みそうにない振り方だった。あとはもう鎮守府に帰るだけなのだが、ここからだとそれなりに距離がある。最悪、びしょ濡れになるのを覚悟しなければならなかった。
「おーい、那珂ぁ」
 途方に暮れていると、ふと声を掛けられた。振り向くと傘を差した姉の川内が、手を振りながらこちらに向かって歩いてくるところだった。
「川内ちゃん。演習があったんじゃなかったの?」
「さっき終わったところ。那珂が傘持たないまま出掛けたって聞いたからさ」
 迎えに来たよ、と彼女は目の前で立ち止まって、笑顔を作る。じっとりと暗くなっていた周りの空気が、少しだけ明るくなったような気がした。
「ありがとう。ごめんね、わざわざ」
「いいっていいって。可愛い妹のためならどこでも駆けつけるよ」
 冗談めかしてそう言った川内が、ふと「ありゃりゃ?」と声を上げた。
「どうしたの?」
「あっちゃー、私としたことが。那珂の分の傘、持ってくるの忘れちゃったよ」
 若干棒読みの台詞と、大げさに頭を抱えるジェスチャー。そしてさりげなくちらちらとこちらを窺う目線。すぐに那珂は彼女の考えを理解して、思わず吹き出してしまった。
「あはは、川内ちゃん演技下手すぎ」
「あれ。……ちぇ、やっぱバレちゃったか」
 照れくさそうに頭を掻く彼女に、那珂は覗き込むように一歩歩み寄った。
「……よかったら、同じ傘に入れていただけませんか」
 おどけた口調でそう尋ねて、笑い掛ける。すると川内も気が抜けたようにふっと笑って、傘を差し向けてくれた。
「もちろん、喜んで」
 雨は相変わらずまだ降り続いている。少し手狭な傘の下、二人は身を寄せ合って歩き出す。那珂は川内の腕を取り、ここぞとばかりに彼女に密着した。
「ちょっと那珂、くっつきすぎだってば」
「だってこうしないと、濡れちゃうもん」
「しょうがないなぁ」
 そう言いつつも満更でもなさそうな川内の横顔は、いつもよりずっと近い距離にある。胸の中で鼓動が一度だけ、高鳴った。
 どうか帰り道の間だけは、雨が止みませんように。
 那珂は空に向かって、密かにそうお願いするのだった。



花の雨と祝福を

「那珂ってさ、自分のことどう思ってるの?」
 丘の上に上りきって一息ついていると、ふと川内が何気なく尋ねてきた。
「……どうかな。あんまり、好きとははっきり言えないかも」
 那珂は眼下に広がる夕焼けの空を一面に映した海を見つめながら、小さく答える。
 ここは鎮守府のすぐ傍にある周辺の海を見渡せる場所で、工廠の大きな建物や出撃用の船の停泊している波止場なども一望できた。演習の後、川内に突然この場所に行こうと誘われたのだ。
「自分で決めたことも上手くできなかったり、小さなことですぐうじうじ悩んじゃったり……。時々全部投げ出して、逃げ出したくなることもあるから。……嫌いってわけでも、ないんだけど」
 苦笑いを浮かべながら、那珂は言う。こうして改めて自分自身のことを思い返してみると、ちょっとだけ情けなくも思えてくる。百パーセント自分に自信を持って生きている人などいないということは、わかっているつもりなのだけれど。
「そっかそっか」
 隣に立つ川内がうんうんと頷く。それから口を開いた。
「……でも私は、そんな那珂が好きなわけなんだけど」
 さらりとそんなことを口にして、「あ、そうだ」と手を叩き、こちらを向いた。
「じゃあ私がさ、世界で一番那珂のこと、好きになってもいいかな」
 そして顔をくしゃくしゃにして、にっこりと微笑み掛けてくる。瞬間、微かに聞こえていた波の音も、カモメが鳴く声もなくなって、世界が止まったような気がした。それくらい彼女の笑顔は、眩しかった。
「進水日おめでとう、那珂」
 川内はずっと背中に隠していた両手を那珂の頭上に持っていき、開いた。
 はらり、はらりと。手の中に隠れていたであろう色とりどりの花びらたちが降り注いでくる。予報もなくいきなり流れて落ちゆく花の雨。夕日の色までも取り込んだそれらはあまりにも鮮やかで、言葉を失う。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
 彼女は笑っていた。心の底から嬉しそうに。
 ダメだよ、と那珂は思う。そんな顔をされたら、こっちまで嬉しくなってしまうから。
 ――あなたのことを、もっと好きになってしまいそうだから。
「じゃあ帰ろっか。ちゃんとしたお祝いは、これからみんながしてくれるからさ」
 そう言って川内は先に歩いていこうとする。彼女の耳が少しだけ赤くなっているのに、那珂は気づいた。思わず口元が緩んでしまう。きっと彼女は一番に自分のことを祝いたくて、ここに呼び出したのだ。
「ねえ、川内ちゃん」
 くっと、彼女の手を引く。
「ん、何……」
 振り向いた彼女に顔を近づけて、そのまま唇を奪った。目を閉じる。柔らかくて、熱い。唇に感じる彼女の感触が、全てになる。
「那珂も川内ちゃんのこと、世界で一番好きになってもいい?」
 鼻先が触れ合うほど間近な距離で、笑いかけてみる。川内は目を見開いて、それから照れくさそうに視線を逸らして言った。
「……もちろん」



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